環境・情報

月刊ウォータービジョン6月号

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  • 2016/01/05

 

平成13年

6月号

山下好の人物紹介 NO.15
君は「本郷 美津子」を知っているか
~どこにでもあるような演奏会はイヤ~

第1回音楽広場(清水町公民館)

さっき演奏会では白のドレスが似合っていた彼女が、グリーン系のシャツにGパンで、私の前に現れた。さっそくピアノの話に触れてみた。
「始めたきっかけは?」「え~、何となく・・、隣のお姉さんが弾いていたから。まぁ、小学校1年の頃から、好きなことは好きでした・・・」どうも歯切れが悪い気がしていたが、その原因はすぐ判明した。
「じゃあ、中学の頃から本格的に習い始めたの?」「中学、高校とバスケット部のキャプテンでした。ピアノは先生に練習のつもりできなさい、と言われて2週間に1度くらいの間隔でいってたかなぁ」と昔を懐かしんで、笑い転げた。
今回はピアニスト・本郷美津子ではなく、人間・本郷美津子に迫れそうだと、楽しみになった瞬間である。
「バスケットやると突き指とかするし、ピアニストには向いていないんじゃないんの」という私の疑問に「そう思うでしょ、だけどピアノの先生がいうには、バスケットのドリブルとピアノを弾くときって筋肉の使い方が同じらしいんです。それに、バスケットもピアノも腰が命、あはは」と豪快に笑い飛ばしてくれた。
最後は何でも体力でしょ、と話す彼女に、妙にこちらが納得させられてしまった。
どうやら周りの人には、ピアニストのイメージはないらしい。
高校時代、「今日、ピアノの発表会なんで、練習早く抜けたいんだ」と言えば「はぁ?何いってんですか」の台詞しか返ってこない。現在でも、ピアノコンサートのパンフレット見て「あっ、バスケ部の本郷先輩だ」と言われる始末。
高校2年の時、音大に進路を決めてからは、勉強、バスケ、ピアノと人並み以上に苦労したと思うのだが、そのあたりは体育会系「音大って、武蔵野音大しか知らなかった」でごまかされてしまった。そこが彼女の魅力なのかもしれない。
「みんなは小学校くらいからピアノに集中しているからうまい、私はそれ以上に頑張らなきゃ、って思っていながらスキー部に入りました」?おいおい。それでもなぜか、大学院へ。
本人から聴いた大学院面接試験での本当の出来事をご紹介。
面接官の「なぜ大学院に行きたいのですか?」の問いに「大学であまり勉強しなかったから」と答えた彼女。
面接官は絶句。それでも、受かってしまうのは彼女独特の強運?なのか。
いやいやそうでもなさそうだ。「最近、チャンスは自分で掴まなくちゃ、そのためにはとりあえず動いてみる事にしています」の台詞が物語っているようにいい意味で図々しく、こんなことやってみたいって周りの人にいうと段々叶っていくという。
彼女との会話は楽しかった。「私、嗅覚が鋭くて、高校時代に道路向かいの三島北小の給食のおかずを当てたり、クラスの友達が隠して持ってきたお菓子を当てたりしたんですよ」「なるほど。この先いいことがありそうとか、この人といると自分が成長できるというような、においも感じていたのかもしれないね」と切り返すと「嗅覚って人間には必要ですよ、絶対」と言い切ったところが彼女らしかった。
彼女のインタビューには「今思えばラッキー」という台詞がたびたび出てくる。その気がなくて始めたんだけれど、今思えばラッキー、という具合に、なんでもプラス思考で考えることが出来る性格の持ち主であることに違いない。
「今年度始めた音楽広場、プロデュースの感想は?」の問いには「どこにでもあるような演奏会はいや、あまりやっていない演奏会をしたい」と答えてくれた体育会系独特の、負けん気の強さが彼女の音楽活動を支えている気がしてならない。
また「観客のため、と答えればいいんだろうけれど、正直いって演奏者のためでもあるんです。技術も大切だけれど、一所懸命やれば観客に伝わることを感じて欲しいんです」とまたまた本音を語ってくれた。
「ピアノが好きというより、ピアノを通していろいろな機会に恵まれたり、いろいろな人に出会えるから楽しい」という考え方が、彼女をうまく表現していると思う。
彼女が企画する「音楽広場」、来月も楽しみである。
(やました このみ)

NPOアラカルト (その12)
NPO法人の2年間
丸山 遼

 丸山 特定非営利活動法人(NPO法人)ができて2年が経過しましたね。この2年間でNPOを取り巻く環境も大きく変りましたでしょうか。

松浦 何年にもわたって、国会に提案されていながら、成立をみないでいたNPO法 でしたが、もし、成立したら自分も法人を作ってみたい。と密かに心に決めていました。
NPO法施行の平成一〇年十二月一日、県庁NPO推進室にウォーター・ビジョンの認証申請書を提出。すると当日の夕刊には県下で4団体が申請書を提出した旨の記事が大きく取り上げられていたり、テレビで報道されたりして、 新しい時代を創っている気分になりました。
ところが、自分の周りの人達は、NPOについて理解があるが、それ以外の人々は全く分からない。マスコミには、大きく取り上げられるが、それとは裏腹に世間の人々の理解は全くない。そのギャップの大きさに困惑しました。そうした思いは、2年を経過しても状況は一向に変わっていない。

 丸山 NPOを多くの人々に理解して頂くためにはどのようにしたらいいでしょうか。

松浦 NPOの先進国であるアメリカやフィリッピンには何十万ものNPO法人が活動している。一般の人々がNPOを理解できないのは、身の回りにNPO法人がないからなんだ、と思いました。
そこで、ボランティア活動をしている人達にNPO法人を創ろうよ、と誘ってみましたが、『私達には法人は必要ないよ』と誘いになかなか乗ってくれない。NPO法ができて未だ2年。NPOが理解され、NPO社会が到来するには、もう少し時間がかかるのもやむを得ないかな、と最近はあきらめています。でも、『NPO法人を創ろうよ』と多くの人に声を掛けることは、NPOを理解してもらう為には、どうしても必要なことと思っています。

丸山 NPO法人ウォーター・ビジョンの2年間は、どのようなものでしたか。

松浦 法人化に合わせ、清水町教育委員会から、『泉のまち音楽会』と『泉のまちカレッジ』について『企画・運営』を受託することができて、ウォーター・ビジョンの存在をアピールできたことは、大変有難い事でした。全国的にみても、行政からNPO法人が『事業委託』を得たのは、当時としては、あまり例がなかったことです。
さらに、NPO法人日本拳法協会の事務委託を得たり、(財)東京ミュージックボランティア協会と協働で「音楽療法基礎講座」を開講したりする事ができて、順調な2年間だった。と思っています。

丸山 もう2年経った、と思いますか、それともまだ2年と思いますか。

松浦 たった2年しか経っていないの。と感じています。毎週、土曜日に「音楽会」や『カレッジ』を開いていると、あっという間に一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎます。
この2年間は、それまでの二十年間にも匹敵する程目まぐるしい日々の連続でしたね。

丸山 これからも、地域の『草文化』の充実にご努力願います。  (まるやま はるか)

竹の間 NO.8
「東海村報告」

竹田共生塾塾長 竹田恒泰
http://www.takenoma.com

先日、東海村を訪れ放射線強度の測定をしてきた。結果からいうと現在東海村の放射線強度は正常値まで落ちている。臨界事故現場であるJCOの敷地を一周して測定したがいずれも正常値であった。その他東海村各地を調査して周ったが、その中で一番測定値が高かったのはなんと放射性廃棄物最終処分場のPRをしている施設であった。この施設ではウラン原石とウランガラスの展示をしている。通常の自然界でのガンマ線の放射線強度が一時間あたり70ナノシーベルト前後であるがウラン原石の展示コーナーではその十倍以上の値を記録した。といってもその値が直ぐ健康に害を与えるというほど強い値ではないものの、事故現場周辺よりも遥かに強いガンマ線を放射しているというのは皮肉なことである。資料館のウラン原石の近くで一年間ガンマ線を浴びた場合、六ミリシーベルトの放射線を浴びることになり、一般住民の年間許容被爆量の六倍を超える。全国の電力館には同じくウラン原石が陳列されているケースがあるが、「放射線危険」の表示をしてもよいのではないか。ウランガラスはブラックライトで幻想的な輝きを放ち、それはこの世のものとは思えない愉楽の世界を感じさせるような不思議な美しさを持っている。資料館を訪れた子供たちが「綺麗、綺麗!」とはしゃいで見とれている姿に僕は疑問を感じる。
平成十一年九月に東海村で臨界事故が起きて早一年半以上が経過したわけであるが、現場での放射線量が正常値に戻ったといえども、重大な事故として記憶に焼きつけておく必要がある。JCOの事故は制御棒も遮蔽装置もない原子炉を突如として市街地に出現させることとなり、決死隊が沈殿槽の冷却水を抜き取るまで長時間に渡り中性子線を発しながら住民を被爆し続けた。これは日本の原子力史上最悪の被曝事故になった。それでもこの事故は原子力関係の事故としては極めて小規模であり、一般の原発で想定される事故に比べ十億分の一以下の規模でしかないということを知るべきである。
事故を起こした沈殿槽には約三キログラムの核分裂性ウランが存在していたのであるが、もしその全てが死の灰に変わったとすればそれは広島型原爆一個分の放射能量に匹敵する。ところが今回はその内約一ミリグラム程度のウランが臨界により死の灰になっただけであり、JCOの事故で生成された死の灰の量は広島型原爆の百万分の一に過ぎない。ましてや標準的な原発を一年間運転すると原爆千発分の死の灰を生産することになり、これはJCOの事故の十億倍に匹敵する。日本ではこのような原発が現在五二基稼動しているのである。チェルノブイリの事故では事故処理に当たった人員の内既に約五万人が亡くなっており、これは日航一二三便の約百倍、阪神大震災の約十倍の犠牲者数である。(たけだ つねやす)
takebom@takenoma.com

マナチャンの現像室 NO.6
「海が埋もれている」
水中写真家 鈴木明義
http://plaza.across.or.jp/~manatee/

右の写真は2000年の春に撮影したテトラポットの上部です。一方左の写真はまったく同じテトラポットを2001年の春に撮影したものです。
たった1年で30センチも土砂が堆積しています。ねっ!ほんとうでしょ!このテトラポットを置いたときから見ると2メートル近く土砂が堆積しているわけです。よって今まで、ワカメとかサザエがあった所も埋もれているわけですが、どうしてでしょうか?
① 森が無くなり土砂が流れやすくなっている。
② 人間の土木工事による。
③ 川をコンクリート化したり、直線化している為にそのまま土砂が海に流され手しまう。等々です。
今、国民は有明海のことばかり見ていますが、私たちの駿河湾だって、大変なことになっているのです。
(すずき あきよし)

博物楽洒 NO.4
~何でも洒落で楽しもう~
「知っていればケガは浅い」
HaraQ
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/haraq/

新緑も濃さをまし、そろそろ初夏という季節になってきました。ゴールデンウィークは終わったものの行楽シーズンはこれからです。山や川や海、はたまた遊園地などに行かれる方々もたくさんいらっしゃることでしょう。のんびり、快適に楽しんでいただきたいと思います。しかし、油断は禁物。いつどこでケガをするかわかりません。先日消防隊の方から応急処置について講習を受けたので、それを踏まえて豆知識をお知らせしたいと思います。これはあくまでも医者や病院でスムーズに手当てを受けるための応急処置で、救助や医療ではありません。
さて、家の中や外などでケガをした人をなんとかしたい時、まず自分の身を安全にしてください。人を助けようとして、自分も釘を踏んだり、ガラスで切ったりなど傷ついたら、相手を助けることができません。ミイラ取りがミイラにならないようにしましょう。
そして、まわりにほかに人がいるならば、手伝ってもらったり、必要なら救急車などの手配をしてもらいましょう。

まず、切り傷・すり傷について。傷口は清潔にしましょう。不潔にするとばい菌が入り、直りが悪かったり、敗血症になることもあります。水道水などで傷口をよく洗い流し、外気を触れないようします。そのために、家庭にあるアルミホイルやラップで傷口を含めて大きく覆います。そして上からガムテープを巻きます。それから病院に行くなど、専門の人に診てもらいます。
次にネンザですが、くじいたり、突き指も同じことで、これは軟骨の骨折ともいえます。内出血をしにくくするためにも冷やすのが肝要です。
ヤケドもふだんよくあります。これには (Ⅰ度)赤くなる(Ⅱ度)水ぶくれ(Ⅲ度)炭化、という段階があります。いずれにしてもまず冷やします。それも1時間くらいは流水で冷やします。水ぶくれの場合は、自分の細胞が治そうとしているので、絶対故意に破かないでください。直りが悪くなります。
鼻血ですが、意外と常識とは違います。冷やしても効果はありません(日射病などでなければ)。仰向けに寝るのはよくないです。温かい自分の血液は、胃に入るとかえって気分が悪くなります。ですからのどに回った血は、吐き出しましょう。とにかく鼻の付け根を強くつまんでいれば、大方は直ります。
野山でハチに刺されたり、マムシにかまれた場合です。どちらも安全を確保して安静にします。ショック症状が出る方は、3分以内に変調をきたすので、それから病院などに行きます。マムシの毒では、死亡率が千人に一人いるかどうかということなので、慌てないようにしましょう。
日射病や熱射病もなりやすい季節です。日射病は脱水症状が強いので、スポーツ飲料を飲みましょう。飲むときに塩をひと舐めしてから飲むと効果的です。スポーツ飲料は点滴と成分がほぼ同じなんだそうです。熱射病のときは安静にして、血の流れの多い首筋や腋の下やなどを重点的に冷やします。

これら比較的軽いケガや病状についてまとめましたが、くどいようですが応急処置です。またもし屋外で倒れている人を見つけて、自分一人ではどうしようもないときは、大きい声で人の助けを求めてください。効果がある叫びは「火事だ!」(本当の火事でなくても)がよいそうです。
遊びに夢中になると、注意力が落ちてケガをしやすくなります。ひとつのケガが、大きな病気を招かないように応急処置を知っておきましょう。そして楽しく遊びに出かけましょう。(はらきゅー)

ベトナムスタディツアー報告
ベトナムへ行こう!
その3
~現代ベトナム交通事情②~

水希 望

ハノイに信号機がほとんどないことは前号で書いたとおりである。信号機が少ないのは必要ないからではなく、単に財政的な事情で基盤整備が進んでいないからであろう。その証拠に道路の混雑ぶりは日本以上だ。日本と違うのは、混雑の主役が自動車でなくバイクということである。
車線幅目一杯に広がり併走しながら間断なく流れるバイクの群を横切って道路を横断するには、多少のコツと大きな勇気がいる。
横断歩道がない道路を横断する場合、日本では車の流れが途切れるのを待ち、左右を確認してから渡る。しかし、信号機がほとんどないハノイでは、流れの途切れを待っていても横断するチャンスはまず来ない。目の前を行き交うバイクの流れに勇気を持って足を踏み出すことが、文字通り第一歩となる。これを躊躇してはいけない。
無謀と思われるこの行為を日本ですると、車やバイクが温情で止まってくれるか、「バカヤロー」とどなられるのがおちである。だが、ベトナムではその期待も恐れも無用だ。多少減速はするものの、渡るまで止まって待ってくれることもないし、どなられることもない。運転手はこちらの歩くスピードを予測し、減速や若干の軌道修正をしながら紙一重で前後に避けていってくれる。
バイクや車が横から来るからといって、あせって先を急いだり立ち止まったりすることは禁物である。こちらが急にスピードを上げたり立ち止まると返って衝突しかねない。一定のスピードで彼らの予測通りに歩むこと。次々と向かってくる左右からのバイクに細心の意識を払いながら悠然と我が道を行く。これが、道路を横断するコツであり、彼らの運転を信じることが最大の秘訣である。

ベトナムでの交通マナーの悪さと急激なバイクの氾濫には相関関係があるように思える。日本のように自国で車やバイクを生産してきたのであれば、当初は値段が高く生活スタイルも必要としないため台数は少ない。技術的な進歩と共に少しづつ改良され値段も安くなり市場に出回るようになる。多くの人が所有する頃にはインフラも整備され、法律や制度などのルールも確立される。制度やルールが根付くには歴史が必要だ。
ベトナムの場合、インフラやルールが整う前に他国で大量生産されたモノだけが短期間にドッと入ってきてしまった。モノを制御する装置やルールが追いつかず、結果として世界最悪と呼ばれる交通マナーとなったのだろう。
しかし、とここまで書いて思う。日本の路上でベトナムほどバイクが増えたらどうなるか。あれだけの数のバイクを日本のルールやシステムで捌くことができるだろうか。答えはおそらくノーだ。併走せず一列に行儀良く走っていたのでは道路より長くつながってしまう。
やはり日本の尺度でものを考えてはいけない。世界最悪と思える交通マナーも、あれだけのバイクを捌くための最良のルールなのかもしれない。
でも交通事故は多いみたいだし、やっぱりあぶないよなぁ。   (みずき のぞむ)

おばあちゃんのお弁当
今泉良三

うちのカミさんが入院した。元気で元気で、ほとんど風邪もひかないカミさんが東京の病院に入院した。30年も続いた俺の弁当も、ついに途絶えることになった。
ところがだ。いつもは朝遅い、おばあちゃんが早起きしてきた。俺の「弁当を作る」と言う。ちょっとびっくりした。オフクロの弁当は42年ぶりだ。中学生のとき、アルマイト弁当には麦飯が入っていた。醤油で焼かれた油揚げが、麦飯の上にかぶさっていた。おしんこと梅干しが隅っこに入っていた。来る日も来る日も同じだった。
油揚げの変わりにオカラになることがあった。あの頃、オカラとは言わなかった。近くの豆腐やさんへ洗面器を持って行って「トウフカスけれ」と言って、洗面器に山盛り買ってきた。買うのが恥ずかしかったけど、あれが一番安いことを子供ながら知っていた。お腹はふくれるし、醤油で味付けされたトウフカスは、好物だった。

そんな昔のことを思い出しながら、昼の時間に弁当のふたを開けた。
「あっ、箸がない」こんなときのために用意していた予備の割り箸を使った。黄色があざやかな卵焼きが、左の隅にふた切れ並んでいた。一口ほおばってみる。味が無い。塩味と思ったが、そうではないらしい。醤油のちいさな入れ物が隅に入っていないかと捜したが、見つからなかった。たまには、味の無い卵焼きもいいかと思った。
右の隅には焼き肉が入っていた。薄く切った肉に醤油と砂糖の味が、ほどよく染み込んでいた。ご飯はちょっと少な目で、かばんの中でゆすられたのか、3分の1くらい隙間が空いていた。42年前には、運動会のときしか食べられなかった豪華な弁当だった。

あの頃、どういう訳か、女の子は弁当のふたを、ついたてのように前に立てて中を見せないようにして食べていた。梅干ししか入っていない子もいた。貧乏で弁当を持ってこれず、学校へ来るのが嫌になった、かわいそうな女のこがいた。
ウチも貧乏だったけど、皆が貧乏だったので、そんなもんだと思っていた。遊びだって、お金はまったく要らなかった。木の枝を拾ってきて、チャンバラごっこしたり、暗くなるまで夢中でカクレンボしたりした。貧しいことを何とも思わない世界が広がっていた。

おばあちゃんは、カミさんが毎日作る弁当を眺めて感心していた。
きっといつか、自分でも豪華な弁当を作ってみたかったのかもしれない。カミさんが入院したので、チャンス到来とばかり、張り切って早起きしたに違いない。
会社から帰ってくるなり、
「弁当どうだった?」
と俺の顔色をうかがった。
「まあ、まあ食えたよ」
と言った後、「しまった」と思った。
うそでもいいから、「カミさんよりうまかったよ」と言えば良かった。
ウチのおばあちゃんは、もうすぐ90才になる。
2001-3-31 カミさんを見舞いに行く新幹線の中で    今泉良三

俳句

清水町徳倉 渡辺義明

若鮎に
水のゑくぼの生れゆく

◎ 「水のゑくぼ」というのは小さな水の渦である。それが若鮎の動きを追うように生まれ、生れている。若鮎の流れにそそがれている無垢な感動からの言葉である。

一山の
地雨のあがる桜の実

◎ 降りつづいていた雨がようやく上がって日が射してきた。湿った土からいきれ立ち、桜の葉陰に小さな紅色の実の粒が光っている。

駒鳥の
高音にの朝朗

◎ 「朝朗」は(朝ぼらけ)と訓む。山中の駒鳥の声がまことによく響いて、景情ともに晴れ晴れとしている。
(わたなべ よしあき)

糸電話

映画「海の上のビアニスト」をビデオで観た▲船の中で生まれ育った主人公が、一度だけ陸に上がろうと決意し、タラップを降り始めたが、無限の世界が拡がるNYの景色を眺めて、船へ引き戻ってきてしまう「あの大きな街には終わりがなかった」と感想を語ったが「無限」の怖さと「有限」の楽しさ、を私たちに教えてくれた気がする。きっと、どこまでいっても満足が得られない、そんな不安が襲ったのだろう▲無限じゃない鍵盤で、自分の音楽をつくる幸せ。彼の生き方は、88に決まっているピアノの鍵盤でも、奏でる人間が無限だから、いろいろな音楽が出来るという考え方である▲ついつい中央(東京)や、世界での活躍を夢見がちだが、自分に与えられた鍵盤(生活環境)で、素敵なメロディ(作品)をつくるのも、ひとつの生き方かもしれない。たった一度の人生だから自分の演奏を楽しみにしてくれている人たちに、精一杯の曲を作ろうとした彼に、共感を覚えてメモをした▲「糸電話」のスタンスも同じでありたい、そう感じている
(公務員パパ)


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作成日2001年5月22日