環境・情報

月刊ウォータービジョン 1月号

  • 環境・情報
  • 2016/06/04

平成成13年

1月号

 

なぜ私の目がこんなに・・・?
駿河湾・大瀬崎のカサゴ

カサゴは語る

表紙を飾ったカサゴは、大瀬崎の水深10メートルほどの海底にいたもの。こうした症状の魚を発見するのは、そう珍しいことではない。潜ると一匹ぐらいは見かける。病気をもった魚は、自然の掟により他の魚やカニに食べられてしまう。したがって、ダイバーに発見されるのはほんの一部で大変な数の魚が病気になっているものと思われる。
こうした症状の魚は、海洋汚染が原因によるものが多い。海水の中のバクテリアが不足し、ばい菌が増加するなどが考えられると、写真を撮った鈴木さんは語る。
鈴木さんは「山下好の人物紹介」に最初に登場した人で、今月号より、連載を始めます。
タイトルは、「マナチャンの現像室」 駿河湾や世界の海を紹介していきます。
休みの日には、大瀬崎に潜りに行き、海のすばらしさに魅了され、写真を撮り続けています。近年、その海の美しさが減り、汚れ荒廃した海の姿が目立つようになったそうです。
この海の現状を知ってもらおうと、各地で講演活動などをしていますが、一人でも多くの方に海の様子を知っていただこうと、毎月貴重な写真を紹介して戴こうと思います。

マナチャンの現像室 NO.1
「マナティのひとり言」
水中写真家 鈴木明義
http://plaza.across.or.jp/~manatee/

僕のお友達は、あと2千匹となってしまいました。このままだと数年で絶滅してしまいます。いったい、誰が悪いんだい。あんたら、人間のせいでしょ。やたら、シャンプーとか、洗剤とか、ビニールとかを、ぼくたちの住んでいる川や海に流すし、モーターボートのスクリューで僕らを殺すし。また、僕らのご飯の海草のあるところを、みんなコンクリートで固めちゃうし。ほんとにもう。この地球は、あんたら人間だけの物ではないんだから・・・・(すずき あきよし)

山下好の人物紹介 NO.10
君は「工藤 玲子」を知っているか
~表に出ない優しさをもっている人が好き~

清水町体育館で

「ねぇ、取材させて・・」「えっ、私のですか?」「そう、頑張っている人を記事にしたくて」「てへへ・・」その照れくさそうな、そして屈託のない笑顔が彼女の魅力である。清水町の体育協会の事務局を勤めながら、平成15年清水町で開催される国体種目、ホッケーの普及に夢中である彼女は、なかなかの頑張り屋さんである。
グレーのトレーナーに、ジャージとは違うシャカと呼ばれるナイキの黒。「シャカシャカしているから」と説明をする姿に説得力がある。トレーナーの前面にはホッケーのプリント。ホッケー娘ここに参上。めちゃめちゃ明るい彼女はおじさん達?の人気者である。
「実は私、神戸生まれなんです」といいながら「一歳半、親の転勤で富士市へ引っ越してきました」と手短にプロフィールを語り始め「双子座のO型、ぎゃはは」と続けた。「小学校はソフトボール、中学校はバレーボール、高校はハンドボール、そして大学ではホッケー。球技は大好きですね。それにひきかえ、水泳、器械体操などはからっきし駄目なんです」運動神経もあるけれど、仲間と仲良くできるスポーツがお気に入りのようだ。本当は寂しがり屋かも。
「そういえば・・・」と彼女のスポーツ秘話が始まった。もう言いたくて言いたくて、うずうずしているように見えたのは私の錯覚だろうか。「小学校の時、ソフトボール投げが得意でね、市の記録会でも新記録達成だったのに、喜びすぎて円の前から出てあえなくファール。ぎゃはは」「大学の時、水泳の授業でバタフライをしていたら、先生に溺れていると勘違いされ助けられた。全然前に進んでなかったらしいんです、おやおや」自分で話して自分で笑い転げる。典型的な双子座のO型だね、やっぱり。
大学は中京大学体育学部健康教育学科。体育系というより、人々の健康を考えてあげたい、そんな思いで大学に進んだという。卒論のテーマは「成人病、過労死から見受けられる労働者の健康障害」、うむ、工藤玲子、ただ者ではない。
ホッケーは「初心者歓迎」の部員募集につられて入ったというから、よくわからないが、負けず嫌いな性格が功を奏し、がむしゃらに練習をして、初心者なのに二年生からポジションを与えられたというから、たいしたものである。
卒業後、高校の教員採用試験をめざしながら、地元に就職したという。おいしい給食にひかれ、中学校教諭も悪くないな、迷ったという話も彼女らしい。
「清水町から、ホッケー普及のお手伝いをしてくれないか、という誘いを受けた時は正直考えましたよ。しかし、国体に携われるのは人生でそうあることではないし、今しか出来ないことをやるのが一番いいことだよ、という母の助言が決め手となりました」と真面目な彼女の一面が顔を出した。
「もっとプライベートなことを聴きたいんだけれど・・」と切り返すと「私の趣味はバーベキュー、夏は自宅の庭でもやるんです。マイ七厘、持っているんですよ、きゃ!」「好きな男性のタイプは?」「う~ん、いゃあ~、いろいろ。清潔な人、それと表に出さない優しさを持っている人かな」「優しい人とは違うの?」「それが違うんですよ。友達にも理解してもらえないけれど、微妙な違いがあるんです、あは」やっぱりよくわからない。
好きな食べ物はマカロニサラダ、しらす、そして豚汁。嫌いな食べ物は、しじみやあさり、サザエなどの貝類、そして、まるごと椎茸。大きい椎茸をおいしいって食べる人が信じられな~い、という私と意気投合してしまったのは言うまでもない。
「図書司書から、高校教員免許、バランス整体操指導者まで」と密かな資格マニアでもある彼女は、好奇心旺盛・富士市からの片道25キロを苦もなく通う元気印の26歳。静岡国体にはホッケー選手としても活躍したいと張り切る姿は、ついつい応援してしまいたくなる何かを秘めている。
一度、体育館入り口にある、体育協会事務室をノックしてみよう。意外と照れ屋で真面目な彼女が、加藤茶の真似をして出てくるかも知れない。あはは。 (やました このみ)

NPOアラカルト (その7)
「ベトナムの子ども達に学ぶ」
丸山 遼

『ベトナムの子ども達を援助する会』は、1995年の夏、同会の副会長の桜井恵美子さんが20歳の娘を連れて、当時テレビ朝日ハノイ支局長北村元氏の案内でベトナムを訪問したことに始まる。
桜井さんは、障害児やストリートチルドレンの実情と近代化には取り残されてはいるが、豊かな自然と逞しく生きる子ども達の姿に感動し、翌96年の春、ウォーター・ビジョンが開いている講演会お話したところ、大変な感動を呼び、4名がこの年の夏にベトナムを訪問。翌97年は、一般公募し広く参加者を募り、第1回ベトナムスタディー・ツァーとして実施。8名が参加した。98年には16名、99年は18名、そして昨年は22名でベトナムを訪問した。
『ベトナムの子ども達を援助する会』の主な支援は、ハノイ市内にある障害児の医療、リハビリ、職業訓練施設『平和村』と恵まれない子ども達の心のケアを目的に音楽と舞踊を教える『ヴィ先生音楽学校』及びベトナムの古都フェ市にあるストリートチルドレンの収容施設『子どもの家』と『フエ盲学校』。
特に『平和村』については単に衣類や文房具を贈るだけではなく、手術をすることで身体機能を回復できる子どもに、医療費の全額を支援している。今まで6人の障害児の手術を行った。
また、会の一方的な支援ばかりでなく、日本とベトナムとの交流に少しでも役に立ちたいと、『平和村』の子ども達が描いた絵画を『心の絵画展』として日本各地で開催したり、ドンホー村の『伝統版画展』やフェ市の絹地に水墨画のようなベトナムの風景を描いた『シルク絵展』、チャリティーコンサート『ベトナム民族音楽祭』等活動をおこなっている。
ベトナムの実情を知ることは、日本を理解することになるという。日本が近代化し、豊かになったことで失われてしまった良いものもいっぱいある。豊かになった日本しか知らない若い世代の人々は、そうしたものを知らない。物がなくても人は生きていける。ベトナムの子ども達は、貧しい。しかし、逞しく生きている。何故なの。こうした疑問が、ベトナムを訪問したメンバーの心に、必ず沸いてくる。そして自分を見つめ、自分自身が少しづつ変わって行くのを実感できるという。
一面に水田が広がり、若い女性が水田に黙々と水くみをしている。長閑なな風景。街には、オートバイが氾濫。3人乗り、4人乗りは当たり前。5人乗りも見かけるという。日本では考えられない世界。一直線に続く国道を天秤棒をかついて市場に向かう少女達。彼女達は一日に何キロ歩くのだろう。我々はすでに歩くことを忘れてしまっている。医療支援で歩行ができるようになった17歳の青年。『手術をして一番うれしいことは何』の問いに『今までは、他人の世話にならなければ生きていくことはできなかったが、これからは、他人のお世話ができることが一番うれしい』と自然に答えたという。
どうもベトナムの子ども達を援助する会のメンバーは、ベトナムとベトナムの子ども達から援助以上の素晴らしいものを学んでいるようでならない。
『ベトナムの子ども達を援助する会』に興味のある方は、事務局を担当している伊藤博美(0559-71-7650)さんにお電話してみて下さい。
(まるやまはるか)

竹の間 NO.3
「究極のグルメ」

竹田共生塾塾長 竹田恒泰
http://www.takenoma.com

僕はおいしいものが好きである。衣食住では間違いなく”食”を優先させる。僕はグルメを求めて世界を巡るのだ。その中でいくつか究極といってよいグルメに出会うことができた。おいしいとかまずいとかを論じるのはただの”グルメ”である。”究極のグルメ”とは物事の極みであり、味の良し悪しの問題ではない。
【究極のグルメ―中国編】僕は基本的に嫌いなものはないから、出されたものは何でも頂くことにしている。これまでイナゴ、蜂の子から始まり蛇、ワニ、サソリ(蠍座なのにサソリを食べてしまった、、、そういえば兎年なのに兎も食べてしまった!)と難なくクリアしてきたのだが、中国でどうしても食べる事のできないグルメに出会った。
中国雲南省景洪で小学校の正門前の屋台で売られていたものがある。何か黒っぽい唐揚げを児童達がむさぼるようにかじっている。なんと、ゴキブリの唐揚げなのであった! しかもおいしそうに集団でかじっている。僕は危うく失神しそうになりながらもその風景を注意深く眺めていた。挑戦すべきか否か悩みに悩んだ挙句、辞退することにしたのだが、それにしても人間がゴキブリを食べてしまうというのは何といおうか、余りにも恐れ多いではないか。勿論健康上の心配もあるが、我々人類の最も先輩と言われているゴキブリさん達をおやつとしてバリバリと食べてしまうのである。飢えている人ならまだ分かる(いや、ゴキブリを食べて生きるくらいだったら死んだほうがましとも思えるが)。彼等はお小遣いで嗜好品として食しているのであった。やはり中国人、スケールが違う。
【究極のグルメ―イエメン編】イエメンのアルムッカラで僕は一人街頭に腰を下ろし行き交う人々を眺めていた。その時、コーラの空き瓶と、半分に割れた蛍光灯を持った変な男がにやにやしながら僕に近づいてきて、隣にぴたっと座ったのだ。気持ち悪いヤツだなと思いながら眺めていると、彼は僕の直ぐ隣で、半分割れて先のギザギザにとがった蛍光灯におもむろにかじりついたのである。僕は「ギエー」とも「ギョエー」ともつかない奇声をあげて食い入るように見つめてしまった。男は蛍光灯を食べている。それも一口ではない。次から次へとかじりつき、ついに手にしていた蛍光灯一本をたいらげてしまった。相変わらずニヤニヤしながらもぐもぐとやっている。よーく噛んでゴクンと飲み込んでしまった。男はすごいでしょといいたそうな顔をしながら、口をあんぐりと開けて、全部飲み込んだことを僕に見せた。昔「晴れ時々ぶた」という絵本で、お母さんが鉛筆をてんぷらにして食べてしまう話を読んだが、将にあのまんま。人生で最も度肝を抜かされた瞬間であった。
話はそれで終わらない。僕は次に何が起こるか知っていた。そう! コーラの瓶である。奴はコーラを飲みたくてコーラを買ったのではない。瓶を食べたくて買ったのだ。奴は顔をくしゃくしゃにしながらあの硬い瓶を次々とかじり割り、鉄の胃袋に流し込んでゆく。以来僕は何を見ても驚かない体になった。(この話は全て実話です。)(たけだ つねやす)

大学生日記 NO.10
「いざ!韓国焼肉ツアー」
日本大学国際関係学部4年 松岡 享子

日曜日、いつものようにラジオが終わり、反省会のあと某居酒屋へとなだれ込む。イカの一夜干しにビールがすすみ、たわいのない話に花が咲く。いい気分に酔っぱらい、ほほも高潮してきた頃に誰かが焼肉食べたいと言い出した。焼肉といえば韓国。じゃあ行こう。なんてわかりやすい単純明快な思考回路。どうせ韓国行くのなら、携帯電話で日本と韓国をつなぎ、ラジオの電波にのっけてしまおうということで出発は早速2週間後の日曜日と決まった。とここでおわるのがよくある居酒屋での酔っぱらいのたわごと。しかしここで少し事情が違ってしまったのはこれは馬鹿な大学生によるたわごとであったということである。いったんやるといったからにはやってしまうのである。
話は変わるが私は大小たくさんの夢というか野望、をもっている。その中のひとつに二十 歳ぐらいの若いときに着物を着用して外国を旅するという項目があった。そしてそんな話をちょうど日曜の昼間に沼津のカレーやでカレーをほうばりつつ語っていたのだった。まさかその日の夜にはそれが現実のものになるとはしらずに・・・!
だから韓国行きの話が出たときに即決で「じゃあ着物で行く!」と叫んだのも酔っていたからではなく私の中ではごく自然な流れの中から生まれた発言なのである。そして次の週末には実家熊本へはるばる着物を取る、ただそれだけのために帰るという行動も当たり前だったのである。着付けも全くわからない人が何を寝言を言ってるのかと母にたしなめられても、おなかが痛くなるほど祖母に笑われても私の決心は変わらない。だって本人にとってはいたって真面目な話であるからである。そんなことよりも私に許された48時間にも満たない熊本滞在時間中に一人で着物が着られるようになるか、そっちのほうが大問題であったのである。
まあどうにか形にはなってきた.。そして三島に戻り、今度は韓国取材でいったい何をやるのかという打ち合わせが続いた。ラジオという視覚に訴えないメディアを通じてどれだけ韓国をリスナーに感じ取ってもらえるか。それが大問題ではあるのだが・・・『韓国で今はやっている情報を調べて流すか?』う~んありきたりだぞ。『韓国の今について向こうの若者と対談する?』こ、こむずかしい・・『韓国のラジオ局と日本の放送局をつなげて..そのためには回線が必要で・・』いったい何語?といった感じで話はどんどん難しくなるいっぽうでさっぱりまとまらない。ただ韓国で焼き肉が食べたいだけだったのにー!!せっかく韓国にいくのだからと考えるから頭が硬くなってしまうのだ。韓国といってもほとんど日本と変わらないであろう。ほんのちょこっとそこの広小路あたりの焼き肉やに中継に出かけましたぐらいの勢いで韓国中継もやりたい.。なにしろ時間もないのだし、ということで今回の韓国中継はコーナーとして10分ぐらいのものにおちついた。日本語を学んでいる向こうの大学生と一緒に同じテーブルをかこみ、飲み食いしているところを電話中継でつなぐのだ。すごく普通である。でもこの感覚は結構重要なはずと勝手に思っている。着物で外国へ行くことも別にに日本人だからとか、日韓交流とかそういうのを狙ったわけではない。普通に洋服を着る感覚で、だからごてごて派手なものではなく、普段着のような軽い感じの着物にしたかった。
実際韓国に限った話では、私たち九州人にとってはものすごく身近な国である。なんてったって東京にいくよりもお隣の国韓国へ行ったほうが近いし安いのである。博多駅などは案内は韓国語表記が英語よりも当たり前にどうどうと居座っている。
外国だからといって気張りたくない。たまたま国籍が韓国の大学生と一緒にご飯を食べて飲んで騒いで友達になってくる。そして次の韓国取材に協力してもらうのもいいだろうし、自分たちのラジオに取り込んでスタッフになってもらうのもいいかもしれない。そうするとうちのローカルラジオは世界へとネットワークを広げることになる。日本へきたら家へとめてあげよう。いろんなところであそぼう。などとまたもや夢はふくらむばかりで、明日出発するのである。         (まつおか きょうこ)

突撃貧乏隊が行く
鈴木ピョン子

カーテンからチラチラと太陽がまぶしい週末のすがすがしい朝。一番に起き出してカップラーメンにお湯を注ぎ新車のチラシをながめてニヤニヤしているのがマーくん隊員、私の夫である。そして「洗濯しろよ!」の小鳥のさえずりにもメゲずにモゾモゾ布団でヌクヌクしているのが私、鈴木ピョン子でああります。はっきり言って貧乏隊にとって週末はとてもこまる、困っちゃうのでアル。「お金をかけずに二日間日頃のストレスを発散できるか」という大きな課題に取り組まなければならないからでアル。(ちょっと大ゲサ)そして今回はキラメッセ沼津で有名画家の絵画を入場無料で見学、そしてポストカード&カレンダーまでももらえるということでさっそく貧乏隊イソイソ出かけたのでありました。
会場入口でポストカードとカレンダーをもらい、場内を見回すとなんだかちょっとへん!マーくん隊員はいつもおどおどしているがそれに拍車がかかったようである。私ピョン子隊員も頭の中で「ただより怖い物はない」という言葉が頭の中でうずまきはじめたのでありました。そしていつもダラーンとしている私に緊張感が走ったのであります。狭い会場の中には黒いスーツ姿のお兄さん、グレーのスーツのお姉さんがウロウロしている。そして絵画の値段はうん百万円。そしてそしてローンの支払いも可でアル。しかしスーツ姿のお姉さんの絵の説明は楽しく興味をそそられ30分ぐらい会話に花が咲いたのち、ちょっとの隙を見て2人は一目散に逃げ出したのでありました。
二人は助かったのでアル。マー君隊員は絵を買う気もないのによく30分も盛り上がったものだと感心していたけど、あのお姉さんはあと一歩でお客を逃したのでありました。ちょっとかわいそうだったけれど・・・貧乏隊でなくてもこんな大金を出して買う人はそういないと思うのであるからいいか。マー君隊員にとってはストレス解消にならなかったようだがスリルとサスペンスの土曜の昼下がりでありました。
(すずき ぴょんこ)

俳句

清水町徳倉 渡辺義明

菊人形
敵も味方も水浴びて

菊人形も水をくれたり、菊を差し替えたりした手入れをする。これは水をやっているところ。合戦の場の敵も味方も、ひとしく水をもらっているのである。

太陽の
はなれて遊ぶ冬紅葉

山が一面に冬紅葉している。その山の上の空に、真昼の日が高く小さく輝いているという情景である。

咲きつぎて
門の内外石蕗の花

門の内にも外にも石蕗がある。出入りのたびにみるその石蕗がつぎつぎと高茎に黄色い花を掲げて目を慰めてくれる。冬の日和つづきの毎日である。
(わたなべ よしあき)

糸電話

「庭越しに話せる人になぜメール?」ラジオから流れてきた川柳である。思わずニヤリとしながら頷いてしまった▲携帯のメールは、子ども達の活字離れを防ぐとか、親子のコミュニケーションの手段として利用される等「親指文化」として市民権を得てしまった気がする。しかし問題は相手に確実に届いたのか、わからないところにある。言い換えれば緊急の要件には使えないというメールの機能を理解しておかないと、大変なことになるので注意しておきたい▲また相手の都合も考えず、メールを送ったのにすぐ返事が来ないとイライラしたり、一日中携帯に向かって、誰とも話さず親指を動かしていては、ストレスが溜まるはずである。本来手紙とは、そういうものなんだと理解し活用して欲しい▲受話器から聞こえる相手の声で「元気そうだね」「どうしたの?調子悪いの?」というコミュニケーションの手段として相手の健康状態を気遣うことも必要ではなかろうか。これからは、五感を使った感性が大切になるような気がする。
(公務員パパ)


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作成日2001年5月29日