環境・情報

月刊ウォータービジョン5月号

  • 環境・情報
  • 2016/06/04

 

 

平成13年

5月号

山下好の人物紹介 NO.14
君は「吉田 成子」を知っているか
~私は、記録マニアだから~

清水町長沢の自宅で

「こんにちわ」と声を掛けると「そこへ車をとめるとつかまるよ、ちょっとまってて」ともんぺ姿で飛び出してきて、向かいの家の人に「悪いけれど、少し停めさせてよ」と世間話をしながら交渉してまとめてくれた。
この方が、今回の取材相手、吉田成子さんだとすぐわかる、元気な女性だった。
玄関に入ってすぐ「渥美清と左幸子のポスター」が目にはいる。これは以前に映画化された「かあちゃんと11人の子ども」のポスターで、ちょっと古ぼけた紙が歴史を語り始めていた。
「昭和40年から清水町に住んでてね」座るとまもなく、こちらが尋ねようと思ったことを自分から話し始めてくれた。
そばには、今は珍しい黒電話。40年から使っている仲良し、と表現してくれた。母・とらさんの写真は、いたるところに飾ってあり、本当に母ちゃんのことが好きなんだなぁって感じさせてくれる雰囲気があった。
いつもは若い人を取りあげて、今後の活動を支援していくパターンであるが、どうしても、彼女を取りあげて欲しいという読者からの要望で、実現したインタビューであることを告げると、なぜか嬉しそうに笑った。
本を書き始めたきっかけは「父ちゃんの軍事郵便」。母は「11人の子ども達に夫のことを伝えたいという思いと、自分が出した本がベストセラーになって夫に申し訳ないという気持ち」から、毎日書き写してきた「父ちゃんの軍事郵便」を母が倒れたので、私がその意思を継がなければという思いで本にしたね、と当時を語った。
平成元年、何気なくNHK教育TVを見ていたら「私の介護体験募集」の記事を見つけた、そこで応募してみた。タイトルは「ベニスの舟唄でボケ防止」。それがなんと採用され、放送は全国で一番目だったという。
軍事郵便に書かれていた「あなたの町はベニスの舟唄のような町です」を、取材の最中に、病人の母が歌い出したのには驚いたね、と何度も言う。
「ところでさ、私は記録マニアだから。覚えないから何でも書くんですよ」と話し続けた。
例えば、町民カレンダーに飲んだ薬が張ってある。書き込んであるのではなく、薬そのものを一回分、張ってある。さすがにこれには驚いた。
さらに年表を持ち出して、出版の記録を明らかにされた。最初に昭和62年「父ちゃんの軍事郵便」平成2年「ぬくもり」平成5年「かあちゃんのボケがなおった」平成7年には新聞エッセイ十回分、平成11年「天までしあわせ」と続けるパワーが凄いと思う。平成9年までに、私の介護体験をテーマに講演会30回をこなしてきた。
そして、平成13年「西伊豆育ち」つながりは西伊豆土肥。私は西伊豆と切れないんだよね、ぼそっと呟いた。
成子さんは家庭科の先生、兄弟がすべて学校の先生という凄い家庭である。
今はね、歯が丈夫。8020目指しているんだ。
まだまだ話は続く。何か話題があると「ちょっと待ってて」と記録マニアの本領発揮、隣の部屋からいろいろな一覧表を持ち出してくる。
そういえば、やや大きい字で終戦の日記もしっかり持っていた。昔の日記から親が師範学校に行け、と言ったから行った。高等小学校8年間、皆勤賞。くそまじめでさぼれない性格。師範在学中にパラチフスにかかり、隔離病棟に入る。退院の当日、田舎に帰ると、リヤカーが迎えに来た、と手短に話した。
本を書く動機は?私は独身だしもちろん子供もいない。だから私の歴史を残してくれる人がいない(六無斎)でしょ、とちょっぴり淋しそうに呟いた。
でも、今回は2000部作ったけれど、何も欲しくない。私の子供だと思って、と付け加えるあたりが、吉田さんらしい。
自分の手を出して「これは黄金の右手」と称し、被服は全部手作りだから、どれだけ稼いだかな、と笑った。
今でも何でも興味がある。ところで今は長寿に挑戦しているの、とさらっと言ってのけた。
最後に嫌いなものは?と唐突に質問したところ「私ね、ずるい人間が大嫌い」と返ってきた。
気の強さがある。話し始めたら止まらない。声につやがある。内容に勢いがある。そんな感じのインタビューだった。
教員時代を振り返りながら、先生が大きく構えることが大切だな、とまとめてくれた。とても気さくな、そして楽しい彼女との会話は尽きることがない、今日はこの辺でペンを置くことにした。     (やました このみ)

NPOアラカルト (その11)
草文化を考える
丸山 遼

 丸山 ウォーター・ビジョンは講演会やコンサートを毎月何回も開催していますね。こうした活動は、地域における文化活動として大きな意味があると思います。なぜそうした活動をするようになったのか。お聞きしたいですね。

松浦 私は、約20年間清水町長沢で特定郵便局長をしていました。郵便局長という仕事は、きわめて特殊な職業です。しかし『地域における片寄りのない情報を得られる』という点では、恵まれています。郵便局は、地域のお年寄りから企業の経営者、もちろん家庭の主婦、そして若い方も、必ず利用します。
地域のいろいろな方とお話をする中で、こんな狭い範囲でも「貴重な経験をお持ちの方」や「知識・技能を持っている方」は大勢いることを知りました。ところがこうした人々が地域に溶け込んでいるか。というと意外とそうではない。そこで、こうした人々を地域の人々と結びつけたい、と思って始めたのが、「ポスタルサロン教養講座」です。

丸山 ポスタルサロンは、長沢郵便局の2階で140回、10年も続いていると、聞きます。永く続いている秘訣みたいなものはありますか。

松浦 ポスタルサロン教養講座を開くための資金があったわけではないのです。しかし、参加していただいた方から「参加料」を徴収したくなかった。したがって、お話をいただく方も無料、参加者も無料でやってきました。
そうした活動を簡単に説明すると、『草野球』みたいなものです。草野球は、やっている人が勝手に楽しみでやっていることで、それを見物しているからといって、お金を取ろうと思わないし、見るほうも、金を払ってまで、見ようとは思わない。しかし、一流選手のプレーもすばらしいが、草野球の選手のプレーにも『味がある』と思いません。
ポスタルサロンは、文化・芸術分野おける草野球、『草文化』だと思っています。地域における文化活動は、それに見合ったものを求めてこそ定着するものと思います。

丸山 そうするとポスタルサロンは、お金がなかったから続いたのでしょうか。

松浦 お金、資金ですね。これは、魔物だと思っています。お金があると、お金に頼ってしまう。お金がなければ、何にもできない。という意見もありますが、自分は、『お金がないからこそ、ここまでやってこれた』と思っています。
お金がないと、何か工夫をしなければならない。その工夫が財産となったと思います。

丸山 日本は、中間層が優秀です。トップに行くにつれて、何かおかしくなってしまう。庶民の『道徳観』は素晴らしいが、指導者は、何故か、自分のことだけしか考えていないようでならない。
したがって、『草文化』の提唱はこの点できわめて意義があると思いますね。

松浦 ポスタルサロンもそうですが、清水町公民館の『泉のまち音楽会』も、草文化です。参加者も楽しんでいますが、それ以上に、演奏する方がもっと楽しんでいますし、最も楽しんでいるのは、企画・運営を担当している、ウォーター・ビジョンのメンバーだと思います。(まるやまはるか)

本物の自然食を食べよう!!

自然食品の店「アニュー三島店」経営
岩部宏毅

iwabe-h@mx7.mesh.ne.jp

4月号の「自然食は食べてはいけない!」を読み、私信のつもりで感想を書いたら、5月号に書いて欲しいとのこと。うーん、何を書こうか…?
自然食っていったいなんだろう?と改めて考えてみた。自然食は特別なものではなく、当り前の食品の作り方、食べ方なのだ。日本人が過去普通に食べてきたものを食べようというだけのことなのだ。巨額の研究費や医療費を投入しても減るどころか増加しつづけるガン、花粉症、アトピー等のアレルギー疾患の増加、最近は化学物質過敏症等も多い。このような現実から化学物質の多用を見直し本来の食のあり方を考えていこうというのが自然食だ。私は昔から自然食品店が存在すること自体がおかしいと思っている。昭和30年頃までは自然食が当り前の食品だったのだ。化学薬品をほとんど使わない農業とその加工品が当り前であった。当り前の食品が特殊な店へ行かなければ手に入らない状態こそおかしいと思っている。私の見果てぬ夢は、この世から自然食品店という専門店をなくすことである。
敗戦後、物不足の時代に安価に加工食品を作る手段として続々登場した食品添加物が、昭和30年代からの経済成長と共に、スーパーの誕生と化学工業の発達により、本格的に様々な食品に使われた。更に、食糧増産の名目の下で農業分野でも化学肥料と農薬が多用され始めたのである。昭和40年代後半には食品添加物の害が現実化し、AF-2やズルチン等の発ガン性が話題になり、有吉佐和子の「複合汚染」がベストセラーになった。おりしも同時代に、専売法が改悪され、世界中で唯一海水を濃縮して塩を作ることを禁止、化学工業で必要な安価な塩化ナトリウムを食料に使うことが強制されたのである。自然食運動はそれ以前から存在したのだが、昭和40年代に化学薬品の食品への使用に疑問を持った人たちの間に広がっていった。化学薬品(農薬)の危険性は昭和37年にアメリカではレイチェル・カーソンが「サイレント・スプリング」で警告、ベストセラーになり、当時の大統領J.F.ケネディは農薬多用の見直しに乗り出そうとしたが凶弾に倒れた。
では自然食品店と一般食料品店で販売されているものはどこが違うのか。最近は一般にも「無農薬有機栽培大豆使用」と大きくうたった豆腐や納豆、味噌、醤油等が並んでいる。豆腐を例に取れば、一般品はよく見ると天然にがりでなかったり、消泡剤(シリコン樹脂・明らかに食品ではない)が使われている。原料の大豆はほとんど米国産だ。米国産無農薬大豆の価格は一般の米国産大豆(遺伝子組換え混入)の1.5倍。高い大豆を使いコストダウンするために、豆乳を薄めにし天然にがりより凝固力の強い合成凝固剤を使い、消泡剤で短時間で泡を抑える。自然食品店で扱う豆腐は2タイプ。国産無農薬有機栽培大豆(米国産無農薬大豆の3~4倍の価格)か国産普通大豆(米国産無農薬大豆と同じか少し高い)と天然にがり100%のみ。当店では前者が240円、後者が120円~180円。一般品と味の違いは歴然だ。醤油は1年半~2年(一般品の倍以上)かけて醸造したもの。よい原料を手間暇かけて作るのである。コストダウンによって価格競争をしている時代に、あえて手間暇かかる製法をとる生産者の食に対するこだわりや思いに触れると感動する。(言い忘れたが、国産普通大豆のものでも残留農薬、有害重金属の検査済で心配ない。)
地球環境の危機が叫ばれている。人間の欲の産物が地球の浄化作用の限界を超えだしたのだ。食料自給率(カロリーベース)39%、穀物自給率26%の食料輸入大国日本。自然食運動は、日本の農業の再生も地球環境の回復も意識に入れたものだと思う。玄米穀物菜食(マクロビオティック)については再登場のチャンスがあれば紹介したいが、ここでは人と地球の調和と世界の平和を願うものとだけ記しておこう。日本人が今のままの食生活を続けたならば、間違いなく数十年後(それまでもつだろうか?)に病人と老人の国になる(もうなりつつある)だけではなく、他国の環境破壊をした国として世界中から相手にされなくなるだろう。経済力も低下し食糧自給もできない国に、その時食料をくれる国は果たしてあるだろうか。人間も自然の一部であることを肝に銘じたい。(いわべ ひろき)

竹の間 NO.6
「やっぱり自然食を食べてはいけない」

竹田共生塾塾長 竹田恒泰
http://www.takenoma.com

先月号に掲載した「自然食を食べてはいけない」は予想通り反響があった。肯定する人々、否定する人々、色々な意見が寄せられた。万人が納得する文には微塵の価値もないので嬉しく思う。紙面に限りがあるため十分なデーター類を記載できないのが残念であるが、僕の文を読んで興味を持った人が独自に調べればいいと考えている。また、「自然食を食べてはいけない」というのは単純にコピーとしてのタイトルであり主張の中身ではない。今まで100%安全だと信じていたものに対して完全に安全だといえるものはなく、最終的に自分を守るのは自分であり、好奇心を持ち正しい知識を自分で得るような癖をつけて欲しいという希望を語っているだけである。そもそも何の興味も沸かないつまらないタイトルでは人々は関心を示さない。たとえば「落第はよくない」なんてタイトルの本は誰も買わない。「落第のススメ」とやるから本が売れるのである。だから「自然食はいい」なんてやったら面白くも何ともない。自然食がいいということは当たり前であり、万人が信じて疑わないからである。だからこそ、そこに疑問を投げかけることに意義がある。
そこで、寄せられた疑問・質問・反論を踏まえて補足をしていこうと思う。まず第一に先月号で玄米と白米の比較をしたが、それについてもう少し詳細を説明する。まず、玄米が古くから日本人の主食であったと思われているが、一般庶民が毎日玄米(米)を食べるようになったのは明治以降で、つい最近のことである。栄養価値は白米に比べて玄米の方が遥かに高いにもかかわらず、玄米は吸収率の点で白米に劣るが、この根拠は試験管内の実験ではなく、大阪市大が行った便の分析により説明されている。これによると玄米食をしている人の糞便の量は白米食をしている人のおよそ二倍。便中の繊維の量も玄米食をしている人がおよそ二倍といった明らかな違いが認められる。摂取量と排出量から計算して、玄米は白米に比べて二倍のカルシウムを含んでいるにもかかわらず玄米食をしている人は白米食の半分しかカルシウムを摂取していない。しかも尿中のカルシウム分を差し引くと玄米食では一日に一六ミリグラムの蓄積となり、白米食の五九ミリグラムと比較して三分の一に過ぎない。マグネシウムの収支に関しては更に玄米食が劣る。なぜ吸収率の違いが現れるかというと、玄米に多く含まれるフィチン酸が影響している。フィチン酸は種皮の内側の糊粉層に多く含まれるため、精白すると減少する。このフィチン酸が消化管の中でカルシウムとキレート結合し、カルシウム、マグネシウム、鉄、亜鉛等の吸収を妨げるのである。その他に残留農薬の問題もある。大阪大理学部植村氏の玄米白米に残留する有機リン系農薬スミチオンの残留量を調査したデーターが発表されているが、これによると、北海道産の普通玄米には0・0017-0・0056ppmのスミチオンが含まれているのに対し、低農薬と銘打っているものでは北海道でも大阪でも0-0・0016ppmとやや低く、無農薬と銘打っている北海道産の玄米の一部には0・0004ppmが検出されたものがあった。これを白米にすると残留農薬は約三分の一に減少する。無農薬玄米といっても地域によっては完全に無農薬でない場合がある点と、白米にすれば安全性がさらに三倍あがる点は明確である。玄米には豊富なビタミンB1・Eが含まれているが、現代人の食事では問題なく豊富なビタミンB1・Eを摂取できているので、白米食であっても欠乏症に至ることはない。
自然食信仰の危険性について論じる人が少ない。食品添加物も農薬も摂らないほうがいいに決まっている。しかし自然食信仰が度を過ぎると逆に偏った食生活に陥る危険性がある。欧米ではマーケットに行くと必ず自然食コーナーがあって、しかも日本のそれと違い、食品の種類が豊富なことに驚かされる。例えば穀類豆類に関していうと、日本では少ないところで数種類、多くとも十数種類に限られるが、欧米の自然食品コーナーでは数十種類の豆が並んでおり桁違いの規模である。日本で安全な食品しか食べないとすると、極端に狭い範囲で選択することになり、偏食の害を逃れるのは難しくなる。いうなれば自然食という名の偏食をしていることになる。偏食は栄養のバランスを崩し、何かが不足しやすくなる。その他に重要なのは、偏食をして特定の食品ばかり食べていると、それが問題のない食品ならばよいが、万一毒があった場合取り返しがつかない。リスクが分散できないのである。例えば飛行機の二人のパイロットは食中毒のリスクを回避するために全く異なった食材の食事を摂る上、食べる時間も意図的にずらしている。
時代は既に汚染の時代に入り、もはや完全に安全であるといえる食品は存在しない。自然食品だからといって完全に安全だとはいえない。確かに通常の食品に比べたら安全である確率は高いかもしれないが、手放しで受け入れるべきではないし、自然食という偏食をするべきではない。食品添加物、農薬等明らかに有害と分かっている食品は当然に避けるべきである。多品目を食べていると毒が含まれていてもその毒は薄まる。一種類に毒があっても、十種類に分散していれば毒は十分の一で済む。有害であるとされていないのであれば広く多種多様な食品を食べてリスクを分散させるのが現代の賢明な食ではないだろうか。最後に、自然食を非難しているのではないことに注意していただきたい。 (たけだ つねやす)

マナチャンの現像室 NO.5
「アマモはサカナの基本」
水中写真家 鈴木明義
http://plaza.across.or.jp/~manatee/

右の写真は、沼津市大瀬崎でのアマモという「海草」の5年前の写真です。一方左の写真は、2年前のまったく同じ場所で撮影しものです。たった数年で絶滅状態となってしまいました。
アマモは、サカナにとっても重要で、食事の場・身を隠す場・卵を生む場等々。ジュゴンのエサでもあります。しかし今、日本中のアマモの現象が報告されています。理由として、工場や港湾の建設、生活排水による水質汚染が考えられます。
私たちの見えないところで、やっぱり自然破壊が起こっていることを、しっかり自覚することが必要です。
(すずき あきよし)

カンボジア極楽紀行

~出会った人々~
増田恵子

私たちの旅が思いのほか快適だったことは前回に書いたが、それは日本語ガイドのソータラさんのおかげともいえるだろう。笑顔が魅力的な彼女は数え年で29歳。日本語は現地の日本語学校で習ったそうだ。ちなみにガイドの給料は日給12ドル。以前、同じ会社で内勤をしていた時は月給120ドルだったという。
ソータラさんは5年前、親に勧められた結婚話を断って、プノンペンに働きに行ったことがあるらしい。ガイドブックによると、カンボジアはまだまだ見合い結婚が主流らしいのに、なかなか先進的な女性と見た。実は恋人が2月から1年間、日本の大学に留学するのだという。「私は彼を待つつもり。でも親はやめろと言うの」と打ち明けてくれた。恐らく世界中で何万人もの留学生が同じ悩みを経験したことだろう。頑張れ!ソータラさん。
1993年にシェムリアプに国連の平和部隊が派遣されて8年。内戦の爪痕はよく探さなければ見過ごしてしまいそうなほどだった。遺跡の周りでは他のアジア各国と同様に、Tシャツだの、拓本だの、ヤシで作った砂糖だの、さまざまな物売りの子供たちに取り囲まれてしまったが、こじきの姿は他の国より少ないような気がした。義足の人や盲人たちの楽団の演奏にもどこか明るさが感じられる気がしたのは、カンボジアの澄み切った青空のせいだろうか。
そんな中で異色だったのは、シェムリアプの外れにある地雷博物館だ。元ポル・ポト派兵士アキ・ラーさんが自分で撤去した地雷を展示するために作った施設で、彼は今でも「地雷が見つかった」という話を聞けば、ボランティアで撤去に行っているそうだ。アキ・ラーさんは1973年生まれ。10歳でポル・ポト兵士となってから、戦況の変化に翻弄されるままベトナム軍とカンボジア軍で過ごし、20歳の時に国連が来て初めてジャングルの外に出たのだという。博物館で談笑している彼の姿はどこにでもいる若者という感じで、兵士だったというのがピンと来ない。でも、彼が書いた手記の日本語訳を読み、「地雷で死んだ猿の肉を食べていた」などのエピソードを聞くと、私より年下の彼が10代を丸ごとゲリラとして費やした、ということの重みが初めて現実感を伴って受け止められるようになってきた。そして、そういう子供をこれ以上増やしてはいけないということも。   (ますだ けいこ)

ベトナムスタディツアー報告
ベトナムへ行こう!
その2
~現代ベトナム交通事情①~

水希 望

「ベトナムの交通マナーは世界最悪だ」と、出発前に何かの本で読んだ。今回と次号でこの「世界最悪の交通事情」について書きたいと思う。
現在国連に加盟している国は全部で一八九カ国。「世界最悪だ」と言う人は世界中の国々の事情をすべて知っているのだろうか。そんな意地悪な疑問を抱いたのは、私が過去に”世界最悪”を何度か体験していたからである。
一ヶ月以上滞在していたメキシコシティでは、街じゅうによどむ排気ガスで青い空など一度も見たことが無かった。ペルーの首都リマを走る路線バスは、市場を通る時に、じゃまな通行人の肩に車体をぶつけ、どけながら前へ進んでいた。タイのバンコクは日常的にひどい交通渋滞で、歩けば二十分で着く距離を、タクシーに乗ったがために二時間以上かかったこともある。
「世界最悪」というのは、その人個人の経験の範囲での「最悪」に過ぎず、極めて感覚的なものだ。ベトナムの交通マナーが”世界最悪”という人は、日本やせいぜい他の先進諸国しか見たことがないのではないか。出発前はそう考え、たかをくくっていた。ハノイに着いたのが夜だったため、ベトナムの交通事情を確認するのは翌日となった。
次の日、初めて目にしたハノイの光景は私の想像を越えていた。街には夥しい数のバイクがあふれ、道路幅目一杯に四列でも五列でも隙間なく平行して走る。二人乗り三人乗りはあたりまえで、時には夫婦で子ども二人をサンドイッチにして四人乗りで走っている。私が見た中では五人が最高だったが、ツアー参加者の一人は七人乗りを見たことがあるとのことだ。物理的に乗れる人数がこの国での定員らしい。そのバイクの群れの中に自転車、車、歩く人、シクロが混じり、おまけに天秤棒をかついだ行商のおばちゃんが加わる。
原則的にはバイクも車も右側通行だが、車線などあってなきに等しいから、バイクが逆走してきたり、時には反対車線に飛び出して向かってくる車もある。信号機がほとんどないため、交差点では先に頭を突っ込んだほうが勝ちだ。それは自転車でも歩く人でも同じこと。バイクの波に脅えていると、道路を横断することなど一生できない。
今回の旅行中の移動は主に貸切バスであったが、左右からバイクがすり抜けバスの鼻先に躍り出てくることはざらだし、バスがスピードを出せないことをいいことに、自転車だってバスを中央側から追い抜いていく。反対車線に抜けようとするバイクは真横から飛び出し、天秤棒のおばちゃんも斜めに横切る。バスから眺めるその光景は、さながらテレビゲームのシューティングゲームのようである。スピードの違う無数の物体が、前から後ろから、横から斜めから襲いかかってくる感じだ。
日本だと車道は車やバイクに優先権があるようだが、この国ではみんな同等だ。バイクだろうと、車だろうと、自転車だろうと、人だろうと道路という空間に入り乱れ、混在しながら移動している。
やっぱりベトナムの交通マナーは世界最悪かもしれない。
(みずき のぞむ)

 

俳句

清水町徳倉 渡辺義明

 

春の森
底なし淵を蔵しけり

◎ 森の中に淵がある。それが底知れぬ深さの色を湛えている。一種の神秘感に打たれたのである。この神秘感は、夏や秋や冬では、感じられないもので、「春の森」だからである。浪漫的な情感を感じさせられる。

高き木の
高きを吹きし春の風

◎ 地には地の衆生の声が満ち、天には天の春の声が響く。一切が色であり、一切が空である。

先生の
結婚宣言草萌ゆる

◎ 草萌ゆる頃ともあれば、先生たちの異動期でもある。この先生は別に学校の異動では、一身上の異動を自ら宣言しているのである。    (わたなべ よしあき)

糸電話

先日、ある講演会で「飛行機の機長と副機長は違った時間に違ったものを食べるんです」という話を聞いた▲フライトの打ち合わせをしながらチームワークを高めるため、一緒に食事をするものだと思っていた私には意外な台詞だった。しかし理由は簡単明瞭だった。「操縦中にふたりが同時に、腹痛や食あたりにならないために別々なんです」なるほど、そこまで気を遣っているのかと感心させられた▲折しも年度切り替えの季節、各自治体や各種団体で人事異動・役員交代が発表され、新しい年度に向けてスタートする。さて自分のまわりはどうだろう。同じようなタイプの人間ばかり集まると何かあったとき、いろいろな角度から対応できず総崩れになる恐れがある。逆に違ったタイプの人間が集まると、それぞれの意見が食い違い一見やりにくそうだが、いろいろな角度から問題にぶつかっていける強さがある▲たまには自分の苦手だと思っている人と行動してみるといい。新しい発見、新しい考え方、新しい世界が拡がる筈である
(公務員パパ)


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作成日2001年5月22日