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カンボジア極楽紀行【増田 恵子】

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  • 2016/06/11

 カンボジア極楽紀行
【増田 恵子】


 

「日本人はお大尽!?」


平成13年4月号

 

「カンボジアに行って来たよ」と言うと、決まって聞かれるのが「危なくない?」の一言。特に中年以降の世代にとっては「大量虐殺」「地雷」などのイメージが根強いようだ。かくいう私も「地雷に気を付けなきゃ」などと、ちょびっとサバイバルを期待していた。しかし、今回の四泊五日の観光旅行は、拍子抜けするほど快適なものだった。

旅行先にカンボジアを選んだのは、十年来のあこがれだったアンコール遺跡が目当て。成田からバンコク経由で、遺跡観光の拠点となるシエムリアプの町に到着。私たちが泊まったホテルは昨年十月に建てられたばかりで、部屋のエアコン、テレビ、冷蔵庫は日本製。三十分五ドルでインターネットも使えるサービスぶり。オーナーはカンボジア人らしいが、日本のODAもいっぱいつぎ込まれているに違いない。

快適な旅になった最大要因は、日本語ガイドさんと運転手さんを貸し切り状態だったこと。旅行雑誌を見て最少催行人数二人のツアーに申し込んだのだが、まさに私と友人の二人だけだった訳だ。特に重宝だったのは運転手付きの車。シエムリアプにはタクシーがないので、移動手段はバイクタクシーが頼り。タクシーといっても単なるバイクなので、当然メーターはないし、長距離はつらい。ちなみにカンボジアでは自動車の運転には免許が必要だが、バイクにはいらない。

遺跡で見かける外国人旅行者の顔ぶれは欧米人と日本人が六対四ぐらいか。世界遺産にもなっているアンコール遺跡は想像していた通り、彫刻が細かくて圧倒された。ただ、一年で最も気温が下がる一月下旬とはいえ、三十度以上の暑さに頭がぼーっとしてしまう。これだけのスケールの遺跡は、駆け足で通り抜けるよりも長期間滞在して少しずつ観賞する方が断然いい。道で話し掛けられたイタリア人観光客の休暇は何と四カ月だそうだ(単に失業しているだけかもしれないが)。何でも欧米のまねをしたがる日本人は好きになれないが、長期休暇だけはうらやましい。

日本人観光客の大半は年配のツアー客だったが、若い日本人女性ばかり見掛けた場所がある。それは市場。今、アジア雑貨(特にベトナム)がブームになっているが、カンボジアの陶器やかご、銀製品なども負けず劣らず素朴な味わいがあってかわいい。流行を先取りしたい方にはお勧めだ。料理もタイ料理よりくせがなく、シーフードが多めで日本人の口に合いやすい。シエムリアプには昨年七月にオープンした日本人オーナーのマッサージサロンもあった。遺跡中心のカンボジア観光から、「遺跡のあるリゾート地」に変わる日も近そうだ。観光地としてはあまりに前途有望なカンジアに、「日本が乱開発をしないといいのだけれど」と少し心配になった。      (ますだ けいこ)

 

「出会った人々」

平成13年5月号

 

 私たちの旅が思いのほか快適だったことは前回に書いたが、それは日本語ガイドのソータラさんのおかげともいえるだろう。笑顔が魅力的な彼女は数え年で29歳。日本語は現地の日本語学校で習ったそうだ。ちなみにガイドの給料は日給12ドル。以前、同じ会社で内勤をしていた時は月給120ドルだったという。

ソータラさんは5年前、親に勧められた結婚話を断って、プノンペンに働きに行ったことがあるらしい。ガイドブックによると、カンボジアはまだまだ見合い結婚が主流らしいのに、なかなか先進的な女性と見た。実は恋人が2月から1年間、日本の大学に留学するのだという。「私は彼を待つつもり。でも親はやめろと言うの」と打ち明けてくれた。恐らく世界中で何万人もの留学生が同じ悩みを経験したことだろう。頑張れ!ソータラさん。

1993年にシェムリアプに国連の平和部隊が派遣されて8年。内戦の爪痕はよく探さなければ見過ごしてしまいそうなほどだった。遺跡の周りでは他のアジア各国と同様に、Tシャツだの、拓本だの、ヤシで作った砂糖だの、さまざまな物売りの子供たちに取り囲まれてしまったが、こじきの姿は他の国より少ないような気がした。義足の人や盲人たちの楽団の演奏にもどこか明るさが感じられる気がしたのは、カンボジアの澄み切った青空のせいだろうか。

そんな中で異色だったのは、シェムリアプの外れにある地雷博物館だ。元ポル・ポト派兵士アキ・ラーさんが自分で撤去した地雷を展示するために作った施設で、彼は今でも「地雷が見つかった」という話を聞けば、ボランティアで撤去に行っているそうだ。アキ・ラーさんは1973年生まれ。10歳でポル・ポト兵士となってから、戦況の変化に翻弄されるままベトナム軍とカンボジア軍で過ごし、20歳の時に国連が来て初めてジャングルの外に出たのだという。博物館で談笑している彼の姿はどこにでもいる若者という感じで、兵士だったというのがピンと来ない。でも、彼が書いた手記の日本語訳を読み、「地雷で死んだ猿の肉を食べていた」などのエピソードを聞くと、私より年下の彼が10代を丸ごとゲリラとして費やした、ということの重みが初めて現実感を伴って受け止められるようになってきた。そして、そういう子供をこれ以上増やしてはいけないということも。   (ますだ けいこ)


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作成日2002年8月5日