国際支援活動

2005年 第9回ベトナムスタディーツアーに参加して

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  • 2016/06/20

2005年 第9回ベトナムスタディーツアーに参加して

神馬 道子

 

私のベトナムスタディーツアー参加は今回で4回目。 昨年も参加したので2年続けてのベトナムとなった。 今回一番印象に残ったところは、 「2004年2月にタイビン省に建設されたリハビリセンターである。 昨年訪問したときは、リハビリのための器具はほとんどなかったが、 今年はリハビリの器具がいくつかそろっていた。私たちが訪問したとき、 みんなリハビリ中だった。 昨年家庭訪問した家の女性が私のことを覚えていてくれたことに感動した。 言葉は通じなくても彼女のジェスチャーやその表情から 「覚えているよ」ということが伝わってきた。1年ぶりの再会。 心の交流ができたような気がしてとてもうれしかった。 彼女は昨年「楽しみは何もない」と言っていたが、今年、笑顔で交流できたことが本当にうれしいまた来年会いに行きたい。

ベトナム戦争が終わって今年で30年。戦争は終わっても枯葉剤の被害は今なお続いている。リハビリセンターの方の言葉が忘れられない。 「戦争被害家庭はまだ戦争は終わっていない」と・・・心が痛む。 彼女たちの笑顔のために何ができるのか?今回思ったことは、地道な活動こそ一番大きな成果に結びつくのではないかということ。 小さな活動でも“続けていく”ということが大切なんだと強く思った。 

そして、もうひとつ印象に残ったところ。それは今回初めて訪れた場所で、ハタイ省が少数民族の子どものために建てた学校である。 ハタイ省は教育にとても力をいれているところで、2010年までに100%の子どもが高校に通えるようにしたいということだった。 高校生で1ケ月に必要な費用は10000~35000ドン。 勉強したくても家の事情や環境により勉強できないベトナムの子どもたち。 少数民族の100%の子どもが高校に通い、勉強し、たくさんの知識や技術を身につけてほしいと思った。 9月から始まろうとしている奨学金制度。ぜひ参加したいと思った。奨学金制度に参加することができたら、 お金の面の援助だけでなく、心の交流もしたい。それができたらどんなにすばらしいだろうか。    来年もまたこのツアーに参加したい。ベトナムの子どもたちの笑顔から、実は、自分自身がエネルギーをもらっているのである。ベトナムの子どもたちのために何ができるのか。これからも自分にできることを地道にやっていきたい。

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佐々木 博昭

8月18日ハノイに降り立ちました。そこは田んぼと水牛そしてバイクの町でした
日本の昔の光景というイメージを持っていた私ですが、
田んぼに肥溜がないといった対象物の違いというより、
田んぼの立地条件から民間が入り難い国家主導型の政策が何となく見え隠れしました。
暑さもあって、のどかな田園風景が、とても厳しい環境に思えました。
なにせ、ほとんど人力ですから。
8月19日ハノイにある平和村を訪ねました。そこにたどり着くまでの道路は、
もちろん整備されていなくて、
中心部以外、信号は皆無でした。私だときっとナビがあっても、
たどり着かないだろうなっと思っていました。そうこう思っている間に到着

 院長から平和村の状況説明を受けました。院長兼ドクターは女性の方で、年齢も若そう。
2004年は96人枯葉剤の影響を受けた子ども達がいたが、
今年は115人と増加しているとのことでした。ドクターの給料の話も出ましたが、思ったより高くないんです。
警察や新聞記者の給料の方がいいんですから、しかも倍以上。
労働力は生半可ではないと思うのですが。従業員のケアーもこれから必要になってくるのかなっと思いました。

さっ、どんな子供たちに出会えるかな。
正直言って、怖かった。枯葉剤の影響を受けた子供で知っていたのがベトちゃん・ドクちゃんだけだったので。
知らない世界を見るのって怖いんですよね。ですから知る事って大切なんだと思います。
知らない事が、偏見や差別を生むのかもしれないし、知ることによってやさしさや思いやりが生まれ、
自己成長につながると思うからです。
建物の中には、年齢の違う子供たちが同じ部屋の中で、一生懸命、勉強したり、刺繍したり、
色とりどりの紐を編んだりしていました。

知的障害の子、身体中に反転がある子、歩けない子、たくさんの子供たちがいました。
でも、お互いに人として尊びあっているな気がしました。
私にとって初めての枯葉剤被害の影響を受けた子どもたちを目の当たりにして、私自身ほっとしました。
子供たちはみんな元気だし、笑顔があったし、不自由な体をもろともせず努力していたからです。
ここにいるのは3世代目の子供たちです。長い年月の中、体の中にまだ止まらない
ダイオキシン。体の中から綺麗さっぱりふき取ってあげたい。憎いです、そして怖いです。
何世代まで続く好くのだろう。医学の進歩が早く歯止めをつけてほしいと思いました。
子供たちが普通に生活できるように。そして、安心して子供が生まれるように。
歩けない子供がベットの上で紐を編んでいました。
それは腕につけるとちょうどよい長さで、紐の先に数珠のような玉がつけらています。その子たちが私達にそれをプレゼントを
してくれたのです。ここにいる子供達の夢って何だろうな。。。

平和村のドクターを交えての昼食会後、ハノイにある友好村に向かいました。道中、たくさんの自転車を見ました。
道路の真ん中をどうどうと走っていました。危ないな。そういえば日本と違って歩道を走ってないな・・・・
歩道は、店の商品が飛び出ていたり、どこから来たのか果物をならべて商売をしている人がいたり、ひたすら座っている人がいたり、これでは、自転車が歩道を走るのは無理だな。
そうこう思っている間に友好村に着きました。バスから降りた瞬間、とても痛い日差しが身体を突き刺しました。
帽子をバスに忘れてきてしまった。ま、いっか。方廊下のコンクリート造り平屋建てでまだ新しい建物に案内された。その建物は教室、リハビリ、パソコン、
ミシン、増加の部屋と分かれていました。きっと、いろりおな団体が友好村に訪れるのだろう。ほとんどの子供たちは異国の私達になれているようで
、気持ちよく歓迎してくれました。子供たちは同じ敷地内にある建物に寝起きしている。1棟に8部屋25人いて、1棟ごとに母2人、父2人の里親制だそうです。
平和村もそうだったのですが、地方の貧しい子供たちを受け入れている為、通って行ける距離ではなく、実際のご両親と離れて生活しているそうです。
でも子供たちは明るいのです。笑顔で寄ってきてくれるのです。貧しい生活の中でも、心は豊かな人、とても人達が多いのだと感じました。
ベトナム語を知らない私には言葉はうまく伝わりません。でも子供たちは一生懸命、私達に話しかけてくれるのですよ。話しかけたら笑顔で答えてくれるのですよ。
平和村と友好村、共通に感じたことは、女性が非常に活躍している事です。ベトナム戦争時代でもそうだったように、ベトナムの国を守ってきた女性が多いという印象を受けました。女性より男性に枯れ葉財の影響を受けやすいと聞きました。