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ベトナムへ行こう!【水希 望】

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  • 2016/06/11

?ベトナムへ行こう!
【水希 望】


 

その1
「戦争の後遺症」
平成13年4月号

 

 少女の顔には、黒い斑点のようなアザが無数にある。斑点の大きさは五百円玉ほどもある大きいものからホクロのような小さいものまでまちまちだ。その斑点がお腹のあたりまでびっしりと続いている。そして、お腹から下の皮膚は、ぽたぽたと落としていた墨を一気にひっくり返したように真っ黒だ。腰のあたりはぶよぶよと膨らんでいる。その黒い”ぶよぶよ”はしだいに拡がってきているという。

先日私は、『日本ベトナム平和友好連絡会議』が主催するベトナム訪問団に参加した。巻頭に掲載されたこの写真はハノイ市内の『平和村』で撮影したものだ。今回の訪問では、ハノイ、ダナンを拠点に、枯れ葉剤の障害児施設である『平和村』と、都市部と農村部にある障害児の家庭を慰問した。

この『ベトナムへ行こう』では、旅行中に私が見聞したことを中心に、若干の感想をまじえて報告する。
第一回目のテーマは『戦争の後遺症』。いきなり重いテーマだが、ベトナムを語る場合は、避けては通れない。
写真の少女の名前はタイ・ティ・ガーちゃん。十歳。

日本では、枯れ葉剤の障害というと「ベトちゃん、ドクちゃん」のような奇形児を想像するが、障害の現れ方は子どもによって多種多様である。タイ・ティ・ガーちゃんの場合も生まれた時は”五体満足”だった。

タイビン省の調査によると障害の種類は、奇形児、全身麻痺、全盲、ろうあ、精神異常、脳障害、皮膚病など多岐にわたる。今回の訪問でも、身長が全く伸びない姉妹や脳性麻痺により歩くこともしゃべることもできない少女など、子ども達の症状は様々であった。

このような枯れ葉剤の影響による障害児は五万人とも言われている。だが、ベトナム政府は今だにその正確な数を把握していない。

障害が枯れ葉剤の影響によるものかどうかを特定するのは難しい。まず戦時中に両親がいつ頃どこにいて、その時期に枯れ葉剤が蒔かれたかどうかの追跡調査をしなければならない。そのような状況証拠に加え医学的な検証が必要となる。血液検査や遺伝子の分析。それらの調査や検査に、一人数千ドルの費用がかかるという。今のベトナムの経済力では、全ての障害児の調査をするのは不可能に近い。また、たとえ遺伝子の障害が確認されたとしても、枯れ葉剤との因果関係は、現在の医学では証明できないとのことだ。

アメリカ政府はこのような枯れ葉剤の影響を公式に認めておらず、補償も一切行っていない。
近年、障害児の数が減ってきているという。完治しているわけではもちろんない。次々に子ども達が亡くなっているからだ。ダナン市の調査によれば、生まれてきた障害児は二十二才までに皆死んでいくという。

ベトナム政府は調査費さえままならない。アメリカ政府は”科学的証拠”を盾に責任回避を続けている。いったい誰がこの子ども達を救えるのか。
二十五年経った今も”ベトナム戦争”は終わってはいない。(みずき のぞむ)

 

 

その2
「現代ベトナム交通事情?」

平成13年5月号

 

 「ベトナムの交通マナーは世界最悪だ」と、出発前に何かの本で読んだ。今回と次号でこの「世界最悪の交通事情」について書きたいと思う。

現在国連に加盟している国は全部で一八九カ国。「世界最悪だ」と言う人は世界中の国々の事情をすべて知っているのだろうか。そんな意地悪な疑問を抱いたのは、私が過去に”世界最悪”を何度か体験していたからである。

一ヶ月以上滞在していたメキシコシティでは、街じゅうによどむ排気ガスで青い空など一度も見たことが無かった。ペルーの首都リマを走る路線バスは、市場を通る時に、じゃまな通行人の肩に車体をぶつけ、どけながら前へ進んでいた。タイのバンコクは日常的にひどい交通渋滞で、歩けば二十分で着く距離を、タクシーに乗ったがために二時間以上かかったこともある。
「世界最悪」というのは、その人個人の経験の範囲での「最悪」に過ぎず、極めて感覚的なものだ。ベトナムの交通マナーが”世界最悪”という人は、日本やせいぜい他の先進諸国しか見たことがないのではないか。出発前はそう考え、たかをくくっていた。ハノイに着いたのが夜だったため、ベトナムの交通事情を確認するのは翌日となった。

次の日、初めて目にしたハノイの光景は私の想像を越えていた。街には夥しい数のバイクがあふれ、道路幅目一杯に四列でも五列でも隙間なく平行して走る。二人乗り三人乗りはあたりまえで、時には夫婦で子ども二人をサンドイッチにして四人乗りで走っている。私が見た中では五人が最高だったが、ツアー参加者の一人は七人乗りを見たことがあるとのことだ。物理的に乗れる人数がこの国での定員らしい。そのバイクの群れの中に自転車、車、歩く人、シクロが混じり、おまけに天秤棒をかついだ行商のおばちゃんが加わる。

原則的にはバイクも車も右側通行だが、車線などあってなきに等しいから、バイクが逆走してきたり、時には反対車線に飛び出して向かってくる車もある。信号機がほとんどないため、交差点では先に頭を突っ込んだほうが勝ちだ。それは自転車でも歩く人でも同じこと。バイクの波に脅えていると、道路を横断することなど一生できない。

今回の旅行中の移動は主に貸切バスであったが、左右からバイクがすり抜けバスの鼻先に躍り出てくることはざらだし、バスがスピードを出せないことをいいことに、自転車だってバスを中央側から追い抜いていく。反対車線に抜けようとするバイクは真横から飛び出し、天秤棒のおばちゃんも斜めに横切る。バスから眺めるその光景は、さながらテレビゲームのシューティングゲームのようである。スピードの違う無数の物体が、前から後ろから、横から斜めから襲いかかってくる感じだ。

日本だと車道は車やバイクに優先権があるようだが、この国ではみんな同等だ。バイクだろうと、車だろうと、自転車だろうと、人だろうと道路という空間に入り乱れ、混在しながら移動している。
やっぱりベトナムの交通マナーは世界最悪かもしれない。
(みずき のぞむ)

 

その3
「現代ベトナム交通事情?」

平成13年6月号

 

 ハノイに信号機がほとんどないことは前号で書いたとおりである。信号機が少ないのは必要ないからではなく、単に財政的な事情で基盤整備が進んでいないからであろう。その証拠に道路の混雑ぶりは日本以上だ。日本と違うのは、混雑の主役が自動車でなくバイクということである。

車線幅目一杯に広がり併走しながら間断なく流れるバイクの群を横切って道路を横断するには、多少のコツと大きな勇気がいる。

横断歩道がない道路を横断する場合、日本では車の流れが途切れるのを待ち、左右を確認してから渡る。しかし、信号機がほとんどないハノイでは、流れの途切れを待っていても横断するチャンスはまず来ない。目の前を行き交うバイクの流れに勇気を持って足を踏み出すことが、文字通り第一歩となる。これを躊躇してはいけない。

無謀と思われるこの行為を日本ですると、車やバイクが温情で止まってくれるか、「バカヤロー」とどなられるのがおちである。だが、ベトナムではその期待も恐れも無用だ。多少減速はするものの、渡るまで止まって待ってくれることもないし、どなられることもない。運転手はこちらの歩くスピードを予測し、減速や若干の軌道修正をしながら紙一重で前後に避けていってくれる。

バイクや車が横から来るからといって、あせって先を急いだり立ち止まったりすることは禁物である。こちらが急にスピードを上げたり立ち止まると返って衝突しかねない。一定のスピードで彼らの予測通りに歩むこと。次々と向かってくる左右からのバイクに細心の意識を払いながら悠然と我が道を行く。これが、道路を横断するコツであり、彼らの運転を信じることが最大の秘訣である。

ベトナムでの交通マナーの悪さと急激なバイクの氾濫には相関関係があるように思える。日本のように自国で車やバイクを生産してきたのであれば、当初は値段が高く生活スタイルも必要としないため台数は少ない。技術的な進歩と共に少しづつ改良され値段も安くなり市場に出回るようになる。多くの人が所有する頃にはインフラも整備され、法律や制度などのルールも確立される。制度やルールが根付くには歴史が必要だ。

ベトナムの場合、インフラやルールが整う前に他国で大量生産されたモノだけが短期間にドッと入ってきてしまった。モノを制御する装置やルールが追いつかず、結果として世界最悪と呼ばれる交通マナーとなったのだろう。

しかし、とここまで書いて思う。日本の路上でベトナムほどバイクが増えたらどうなるか。あれだけの数のバイクを日本のルールやシステムで捌くことができるだろうか。答えはおそらくノーだ。併走せず一列に行儀良く走っていたのでは道路より長くつながってしまう。
やはり日本の尺度でものを考えてはいけない。世界最悪と思える交通マナーも、あれだけのバイクを捌くための最良のルールなのかもしれない。
でも交通事故は多いみたいだし、やっぱりあぶないよなぁ。   (みずき のぞむ)


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作成日2002年8月5日