おばあちゃんの弁当【今泉良山】
- 環境・情報
- 2016/06/11
おばあちゃんの弁当
【今泉良山】
平成13年6月号
うちのカミさんが入院した。元気で元気で、ほとんど風邪もひかないカミさんが東京の病院に入院した。30年も続いた俺の弁当も、ついに途絶えることになった。
ところがだ。いつもは朝遅い、おばあちゃんが早起きしてきた。俺の「弁当を作る」と言う。ちょっとびっくりした。オフクロの弁当は42年ぶりだ。中学生のとき、アルマイト弁当には麦飯が入っていた。醤油で焼かれた油揚げが、麦飯の上にかぶさっていた。おしんこと梅干しが隅っこに入っていた。来る日も来る日も同じだった。
油揚げの変わりにオカラになることがあった。あの頃、オカラとは言わなかった。近くの豆腐やさんへ洗面器を持って行って「トウフカスけれ」と言って、洗面器に山盛り買ってきた。買うのが恥ずかしかったけど、あれが一番安いことを子供ながら知っていた。お腹はふくれるし、醤油で味付けされたトウフカスは、好物だった。
そんな昔のことを思い出しながら、昼の時間に弁当のふたを開けた。
「あっ、箸がない」こんなときのために用意していた予備の割り箸を使った。黄色があざやかな卵焼きが、左の隅にふた切れ並んでいた。一口ほおばってみる。味が無い。塩味と思ったが、そうではないらしい。醤油のちいさな入れ物が隅に入っていないかと捜したが、見つからなかった。たまには、味の無い卵焼きもいいかと思った。右の隅には焼き肉が入っていた。薄く切った肉に醤油と砂糖の味が、ほどよく染み込んでいた。ご飯はちょっと少な目で、かばんの中でゆすられたのか、3分の1くらい隙間が空いていた。42年前には、運動会のときしか食べられなかった豪華な弁当だった。
あの頃、どういう訳か、女の子は弁当のふたを、ついたてのように前に立てて中を見せないようにして食べていた。梅干ししか入っていない子もいた。貧乏で弁当を持ってこれず、学校へ来るのが嫌になった、かわいそうな女のこがいた。
ウチも貧乏だったけど、皆が貧乏だったので、そんなもんだと思っていた。遊びだって、お金はまったく要らなかった。木の枝を拾ってきて、チャンバラごっこしたり、暗くなるまで夢中でカクレンボしたりした。貧しいことを何とも思わない世界が広がっていた。おばあちゃんは、カミさんが毎日作る弁当を眺めて感心していた。
きっといつか、自分でも豪華な弁当を作ってみたかったのかもしれない。カミさんが入院したので、チャンス到来とばかり、張り切って早起きしたに違いない。
会社から帰ってくるなり、
「弁当どうだった?」
と俺の顔色をうかがった。
「まあ、まあ食えたよ」
と言った後、「しまった」と思った。
うそでもいいから、「カミさんよりうまかったよ」と言えば良かった。
ウチのおばあちゃんは、もうすぐ90才になる。2001-3-31 カミさんを見舞いに行く新幹線の中で 今泉良三
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作成日2002年8月1日