文化芸術活動

「6,000人以上のユダヤ人を救った杉原千畝を語る」日本人外交官・杉原千畝を舞台化した「センポ・スギハァラ」公演13年間の軌跡を通して

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  • 2016/06/15

 

<第151回ポスタルサロン一般教養講座>

「6,000人以上のユダヤ人を救った杉原千畝を語る」

日本人外交官・杉原千畝を舞台化した「センポ・スギハァラ」公演13年間の軌跡を通して

 


◇主催    特定非営利活動法人ウォーター・ビジョン
◇日時    平成16年710日(土)
夜19:00?20:30

◇お話    田辺 素子 劇団銅鑼(どら) 制作部長

◇会場    ポスタルサロン (清水町長沢郵便局2F)

 

 

 

1939年、ナチス・ドイツは宣戦布告無しにポーランドに侵攻。第二次世界大戦が始まった。迫害を受けていたユダヤ人達は必死の逃亡を試みる。戦火のヨーロッパを1年以上逃げ回り、辿り着いたのは、ソ連に併合されようとしているリトアニア。彼らに残された道は、ただ一つ。日本の通過ビザを手に入れ、ソ連・日本を通り第三国に逃れる道。閉鎖間近の日本領事館にユダヤ人たちが殺到する。

タスケテクダサイ センポ・スギハァラ
””コノコヲ ミゴロシ二シ
ナイデクダサイ

当時のリトアニア領事・杉原千畝は、本国に膨大なビザ発給の許可を求める。しかし、日本政府の回答は、“発給スルナ 杉原千畝と妻・幸子は苦悩の末、ビザを発給することを決意する・・・・・

この感動の実話をもとに、劇団銅鑼は1992年「センポ・スギハァラ」として舞台化。以来、4度の海外公演(リトアニア、アメリカ、ポーランド、韓国)での上演を含め、まもなく通算上演回数は800回を超える。

ポスタルサロン講座の趣旨を理解頂き、13年にわたる公演活動を通じて、見えてきた真実の杉原千畝と、観客の反響について、劇団銅鑼の制作部長・田辺素子さんが熱く語るものと思いますので、ご案内申し上げます。

なお、杉原千畝さんは、戦後、沼津市内の親戚を頼って身を寄せていたこともあったようです。

 

 【問い合せ】NPO法人ウォーター・ビジョン(TEL&FAX055-972-6112)


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作成日2004年6月14日