VIETNUMを旅して?ベトナムの子供達を援助する会 会長 松浦正美?
- 国際支援活動
- 2016/06/20
VIETNUMを旅して
?ベトナムの子供達を援助する会 会長 松浦正美?
1960年1月に始まったベトナム戦争は、75年4月まで続きました。 この間に使用された爆弾の量は、第2次世界大戦の2.7倍。特にジャングルを枯らすために 投下された枯葉剤は猛毒のダイオキシンが含まれており、人体に多大な影響を与えました。
我々日本は、第2次世界大戦後、一貫して豊かな国になろうと努力してまいりました。 対戦の後遺症を払拭し、近代化を求めて。
しかし、失ったものも、あまりにも多いような気がしてならない。
ベトナムに行ってみよう。日本の将来を考えるために。
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「ここの職業訓練所に、通ってくる子供達に、1ヶ月5ドルでいいから奨学金を支給したいんです。」
ベトナム中部にある古都フエ市の郊外で、孤児院「子どもの家」を運営する小山道夫さん。
「この子達は、みんな貧しい家庭の子で、家に帰れば家事や物売りをして、家族を支えているんです。こうして訓練所に通うことは、大変なことなんです。」
5年前、観光でベトナムを訪れた小山さんは、素足で公園に寝る子や、物乞いをする子供達に囲まれたことが、人生の大きな転機となった。
教員生活23年目。日本の子供達も習い事や塾通いで、大変である。しかし、ここの子ども達の大変さは質が違う。半年考え、単身でベトナムへ。路上で寝る子ども達を集め、「子どもの家」を開設。1993年のことである。以後、4年間で100人を越える子ども達を学校に通わせ、今は3歳から18歳までの60人がベトナム人寮母と暮らす。入居を待つ子は、30人を越える。昨年、孤児院に付属する職業訓練所を日本のODAの資金で建設。近くの貧しい家庭の子ども達が、コンピューター、刺繍、洋裁、彫刻の技術を学びにくる。
「この子達は、趣味や楽しみのために通ってくるのではないんです。
生きてゆくための武器を手に入れようとしているのです。」
子ども達の真剣なまなざしは、小山先生の言葉を裏付ける。
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「さくら、さくら、やよいのそらは、みわたすかぎ?り、かすみかくも?うか、においぞいず?る…」
ハノイ市近郊の貧しい子ども達に歌や民族音楽を教えるヴィ先生の自宅でのミニコンサートは、日本の「さくら変奏曲」で終演。
コンサートは、ベトナム独特の一弦楽器による演奏で始まり、踊りや電子オルガンの演奏もあるすばらしいものだった。
ヴィ先生は、ベトナム戦争終結後、自宅近くにすむ貧しい子ども達に無料で音楽を教え、音楽の専門学校等に多くの子ども達を入学させている。そして、ベトナムの国民的な歌手である。
「今、80人の生徒を教えるには、ここは狭い。人民委員会(日本の県や市に当たる)から、土地は頂いてある。どうかそこに、音楽学校を建てていただきたい。」
子ども達のすばらしい演奏で、ヴィ先生の要請に心が傾く。
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直射日光を避け、家の軒下に置かれた竹製のベンチに座り、指をくわえ、無心に体を前後に揺する少年は14歳。顔つきは少年であるが、体の成長が十分でなく、3歳ほどの体格しかない。17歳の長男は、家の中のベッドに寝ながら、聞き分けることのできない大声を発しながら、落ちつき無く体を動かす。
ハノイ市内から、車で40分ほどのタームさん宅。ご主人は、北ベトナム軍の兵士として、南ベトナムでアメリカ軍と戦った。ジャングルの木が、なぜ枯れるのか理解できなかった、と語る。戦後、村に帰り、結婚。生まれた長男は障害を持っていた。次には元気な子が欲しいと願った次男にも障害が。頼りとする男の子全てに障害があったら、ご両親の辛さは…我々は計り知れない。
もっとも多く枯葉剤が撒かれたベトナム中部地区。この地区にあるフエ大学で、遺伝学を研究しているヤン先生は語る。
「今もベトナムでは、枯葉剤に含まれていたダイオキシンによる遺伝的影響と思われる障害児が多数生まれている。」
何の手当もされず、放置されている障害児は、ベトナムにどのくらいいるか?知ることは難しい。
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7月26日?8月2日までの8日間のベトナム・スタディツアーは、20代の高校教師から、50代の家庭の主婦まで、男5人、女3人の8名。
ハノイ、フエ、ホーチィミンと障害児の施設や家庭を訪問しながら、専用車の窓外に繰り広げられるベトナム社会を垣間みる。
まず目に付くのは、この2?3年で急激に増えたバイク。2人や3人乗りは当たり前。4人乗り、5人乗りも見かけた。乗用車の数も増えている。ハノイ市内には、高層ビルが建ち、高級ホテルも目立つ。市場経済を導入し、社会主義政治体制を維持しながら、経済開放を進めるドイモイ(刷新)政策は、経済発展の代名詞のように言われ、人々は発展を信じ、逞し息づかいを感じる。
しかし、当然のことながら、子どもや障害者への福祉は、十分でないし、経済成長に取り残された人々の生活は、悲惨である。
孤児院、盲学校、そして、障害児の子ども達に、文房具や衣類を送ることから始めた我々の活動は、現地に行って様々な人々にお会いすることで、ベトナムの社会について理解を深めることができた。そして、ベトナムを知ったことで、日本についての理解も、より深まったような気がする。
来年の夏も、ベトナムへ行きます。大勢の皆さんの参加をお待ちしています。
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