第11回ベトナムスタディーツアー(2007年)
- 国際支援活動
- 2016/06/24
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2007年8月19日?26日 主な訪問先 ハノイ市 平和村・友好村 タイビン省枯葉剤被害児童リハビリセンター ハタイ省 バーヴィー県少数民族高等学校の奨学生に奨学金を授与 フエ市 子どもの家 ヴィンモックトンネル ケサン基地 ホーチミン ツーヅー病院 統一会堂 ウォーター・ビジョン主催のベトナムスタディーツアーは今年で11回になります。参加者は中学3年生から70代まで13名と幅広い年代層でした。 訪問先も6ヶ所で大変密度の濃いツアーでしたが、今後継続していく上での新たな展開等、いろいろ考えさせられる旅でした。 タイビン省リハビリセンターは今年で4回目になります。我々参加者も事前に「トーンチャイム」(ハンドベルに似た楽器)を練習。楽器を持参し日本の曲「さくらさくら」「キラキラ星」「富士の山」を演奏しました。又子ども達一人一人に手作り人形、ボールペン等のおみやげを持参。色紙も持参し、全員が子ども達の中に入り楽しい交流ができました。 特に手足の不自由な子が片手、片足で上手に折り紙でハートを折ってくれたのにはびっくり。教えるつもりが逆に子ども達から教わり皆感激。 又、管理者のスワンさんから 今年の5月より青年海外協力隊の梶田梨栄さんが理学療法士として2年間滞在しているということで、とても心強く思いました。特に昨年できた職業訓練センターはパソコンや職業用のミシン等設備は整っているが、教える人がいないため実際にはまだ稼動していないということでした。 又、タイビン省には10万人の障がい者がいて3ヶ月サイクルでここに来て訓練をうけているとの梶田さんの話に大変びっくりしました。 平和村、友好村は多くの人たちがボランティアで訪れていますが、ここタイビンでは訪れる人も少なく梶田さんは「ベトナムに来て始めて日本人に会いました」というほど手が入っていない現状です。来年度はここに滞在しボランティア活動を中心にしたツアーにしていけたらいいなと思っています。 |
ベトナムスタディーツアーに参加して
上杉 真由(中学3年生)
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私はベトナムでいろいろな施設をまわって、いろいろな子供たちに出会いました。黒いしみが顔、体、すべてにブチのようにある子供、腕が細く変な方向に曲がっている人、足がなくて手をついて地面を這っている人、目眼が飛び出している子、顔の一部に拳ほどのできものができている子、頭の形が細い子、頭が座布団ぐらい大きいのに体は細くて小さな赤ちゃんまだまだいっぱいいました。 それもこれも戦争があったからです。無意味な争いなのに、なぜ関係のない人たちまで巻き込むのでしょうか?でもこの子達は一生懸命生きようとしていました。指の先が曲がっていて使えないはずなのに、手のひらで一生懸命折り紙でハートを折ってくれましたきれいなハートでした。皆さんは指を使わず折り紙をきれいに折れますか?その子はきっと何回も何回も練習して練習して1つのハートを折るために何十回折ったのでしょう。 最初はこわくて見られなかったです。元気に生まれてきたかっただろうなと思うととても悲しくなります。これも戦争のせいです。私はこの経験をバネに「生きること」を考え直していきたい。と思いました。 |
バーヴィー県の奨学生
三枝 照代
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第11回ウォーター・ビジョンのベトナムスタディーツアーに参加して今日は4日目。バーヴィー県の奨学生に会いに行く。ハノイからバスで3時間。山あいの学校に着く。校庭には数多くの生徒達がいた。今日が始業式だったとか。 バスから降りるとピンクのTシャツにジーンズ姿の笑顔の少女が私の腕を体ごと両手で握りしめる。「よくわかったね。覚えているよ」「元気だった?」全て日本語で話しかける。それでも笑顔でうなづく。私は彼女に会うためだけの参加だが、松浦理事長、伊藤さん達は、急に同行できなくなった現地代表スタッフのアンさから、43名の大切な奨学金を預かりしっかりと手渡す。 昨年は皆緊張した面持ちで素敵な民族衣装のちょっと格式ばった感じの会だったが、今年は再会ということもあり皆私服で校長先生はじめ、他の先生方も同席し慣れ親しんだ雰囲気での伝達式。 その後、全校生徒を体育館に集めてくださり私達参加者13名の即席で習ってきた「トーンチャイム」の演奏と皆の歌での交流会。 彼女の話を聞くと大学に進んで自然に関する勉強をしたいとのこと。はじける笑顔で手を握り合い別れを惜しんだ。 |
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奨学生グエン、バ、ホンとの交流
神馬 道子
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奨学生の名前は、グエン・バ・ホン。十七歳。笑顔がすてきな好青年。昨年八月、初めて彼に会った。今年八月、一年ぶりの再会。出迎えてくれた彼は立派に成長していた。昨年は時間がなく、会ってすぐにお別れだったが、今年は交流する時間をもつことができた。大満足。今回、私は、コミュニケーションを図れたらと、会話本を持っていった。彼は、会話本に興味津々。のぞきこんできた。本当に簡単な会話だったが、本のおかげでコミュニケーションを図ることができ、彼の笑顔をたくさん見ることができた。とてもうれしい。昨年は彼のお母さんが来てくれていたが、今年は姿が見えない。「お母さんは?」と聞くと「家」との返事。「お母さん、お兄さん、妹さんは元気?」と聞くと、親指を立てて「元気だよ」と返してくれた。私は彼の役に立つのならと会話本をプレゼントした。奨学金はこれで終わりだが、これからもぜひ交流を続けていきたい.
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バービー県の少年との再会を通して
渡辺 恵子
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昨年、16才のディン・ヴァン・ツエン君に会った時は少年らしさと恥ずかしげな表情と緊張感いっぱいでした。
私たちは有限の人生ではあります。しかしこうして奨学金を出させていただくことによって、ベトナムの地でも次の世代へのバトンタッチが出来それが無限へ生きる道への繋がりを見つけた喜びの思いになりました。 |
「今泉靖子さんへ。ヴェトナムからの便り」
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こんにちは。靖子さんにお会いできて、とてもうれしいです。
私の名前は、Ha? Thi? Ha?iです。
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親愛なる靖子さん。
まずは、とても遠い国、日本で、お元気でお過ごしでしょうか?
梨栄を通じて、私は、日本語を知り、靖子さんの気持ちを知りました。
私の家族は、4人兄弟です。父と母は今年62歳です。
1965年、父は、戦争のため戦場にいました。
父は、私が何歳で、どんな病気か知りません。
母は、私たち子供が、痩せて弱くなる病気を心配しています。
母は30kgです。
私は、脊髄からくる全身の筋が萎縮する病気です。
そして、3人の姉と弟は知的障害者です。
1人は、知的障害と、筋の萎縮があります。
私は、今まで、家族の愛情を感じたことがありません。
10年前、私は自殺をしようとしましたが、隣人に助けられました。
私は、自分が死ねば、家族の苦労がいくらか減ると考えました。
私は、戦争を恨みます。私は、私を生んだ父と恨みます。
どうして、私は、このように精神的にも、身体的にも、
痛みを感じなければならないのでしょう。
私の弟は、けんかし、父を殴ります。
私は、本当に泣いて、涙がなくなるほど泣きました。
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私はセンターに入所することができて、感謝しています。
日本とベトナムの上の人たちに助言して、ベトナムの家族や私の家族を助けてくださったことを、感謝しています。
私は、あなたたちがセンターを作り助けてくださった愛情に感謝しています。
私は、日本とベトナムの関係が長く続いてほしいです。
そして、私はあなたたちと一緒に痛みを分かち合いたいです。
ですが、私の家族はまだ、苦労、困難に耐えています。
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私は日本の良い人たちの思いやりを心に留め、尊重します。
8月にお会いしましたね、靖子さん、お元気ですか?
お手紙、お待ちしています。
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また会いましょう。私たちは練習します。
あなたがたが、元気で、楽しく、幸せで、成功しますように。
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あなた方の私
Ha? Ha?i
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