国際支援活動

パレスチナ・レジスタンス

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  • 2016/07/02

 

パレスチナ・レジスタンス

日本大学国際関係学部3年
高嶋博和


    

パレスチナ写真集

ポスタルサロン教養講座

僕は2002年2月15日から4月22日までイスラエルへいきました。
イスラエル・パレスチナの争そいの中で一番大きな問題はパレスチナ人に人権がないということでした。例えイスラエルによって家を壊されても、車を壊されても、訴える場所も取り合ってくれるところもありません。今、頻繁に起きている自爆は彼らに唯一残された意志表示なのです。実際イスラエルに管理された自治区で武器があったのならばそれはテロではなく正当防衛になります。

3月1日バラタ難民キャンプ イスラエルがキャンプを制圧して3日目、中へ入ることができた。通りを戦車や装甲車が悠然と走りまわり、住民が物陰からその様子をじっと見つめていた。3階建てのある家では、1階に女、子供がその3階をイスラエル兵が占拠していた。こんな状況で私達はどうして生活できることができるの?この事実を世界へ伝えて欲しいと言われました。僕を泊めてくれた家の老夫婦、電気も水も遮断されて3日目だった。ランプの下でアッラーに祈りを捧げる間にも空には武装ヘリ、アパッチが飛び断続的な銃声が続いていた。イスラエル兵が去った後、死んだ人の葬式、イスラエルによって穴を空けられた家々。人々はその現実をただ見つめることだけだった。

3月8日、トゥルカレムで悲惨な事が起きていた。銃撃戦によって負傷したパレスチナ人を手当てに向かった救急車が戦車に体当たりされ、救急隊員が死んでいた。救急車に残された何発もの銃弾、形をとどめていない、救急隊員の姿がそこにあった。病院へ行ってみると、遺体を収める冷凍庫、一人用のベットに3人が詰め込まれていました。中には8歳の男の子の死体もありました。そこで泊めてもらった家は5人の家族の家だった。家のすぐ裏を戦車が夜通し走りまわり、寝室には銃弾が打ちこまれた跡があった。家の窓には、土豪が詰まれていて、そこでもやはり電気は止められていて、ランプの下でムスリムの彼等と一緒に酒を飲んだ。飲みながら彼等は昔にしたヨーロッパの旅行を話した。今置かれている、現実では街からいっぽもでることができないと言っていた。

3月29日ラマラ

ベツレヘムと同様にイスラエルによる占拠が続いていた。街を走りまわるのは戦車、装甲車。パレスチナの救急車だけだった。住民は家からでることさえできず。病院に入りきれない死体が駐車場に埋められていた。このラマラで僕は18日間を過ごした。イギリス人の夫妻の家にお世話になった。彼等の親はユダヤ人だった。戒厳令下の中で、彼等もまたイスラエルが行う行動に理解できないといっていた。航空券の予定で街を出るとき、道端に捨てられているパレスチナ人のIDカードを子供が拾っていた。

4月19日ジニン難民キャンプ

キャンプの中心は無残にも瓦礫と化していた。変わり果てた我が家を前にみんなが呆然と立ちすくんでいた。瓦礫の下からでてくる死体はすでにその原型をとどめていない。あたりには死臭が立ちこめ地獄絵図だった。家族を失って立ちすくしている5歳の少女、彼女はショックのあまり言葉を失っていた。数日ぶりに見る変わりきった我が家、瓦礫の下に埋もれている家族を探している最中にもイスラエル兵が威嚇射撃をしてきた。

イスラエルによる制圧、パレスチナによる自爆テロそれが繰り返されている。両者は全くの交じり合わない水と油のようだった。しかし、ある時イスラエル兵がこんな事を言っていた。自分達が正しいのか間違っているのかわからない。しかし、全ては正しいと思ってやっている。とイスラエルの男性は18歳から3年間、女性は2年間の徴兵制度がある。彼等と話しをしてみてもやはり本質はパレスチナ人もイスラエル兵も同じで、日本にいる同世代の友人ともなんらかわりはなかった。無意味にように思える争そいに、人々は呆れ疲れ切っていたが戦いざるおえない現実。全ては悲惨だった。しかし、パレスチナ人の多くは切ないほどに優しく、イスラエルによる制圧の下で自分が家を訪れるとなけなしの食料で食事を作ってくれたり、寝床をあてがってくれたり。どんな状況でも人間らしく、その姿に自然と涙することも何度かあった。彼等は一つはみんなの物といい、どんな状況でも笑顔を忘れなかった。戦車に向かって石を投げること、自爆、それらは無意味な事のようにおもえるが、唯一の意志表示だった。何処へ行ってもカメラを向けると子供達はファインダーを通して垂直自分の心を見つめてくれる。今多くの人々が忘れてしまった温かいぬくもりをもったパレスチナ人。プライド高きパレスチナ人。それと同時にイスラエルの若者による徴兵拒否が増えていること。それらが唯一の救いだった。


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作成日2002年7月8日